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ユスト高山右近列福式

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日時:
2017年2月7日 @ 12:00 – 15:00
2017-02-07T12:00:00+09:00
2017-02-07T15:00:00+09:00
場所:
大阪城ホール
大阪府大阪市中央区大阪城3番1号
高山右近列福式のチラシ

高山右近列福式のチラシ

大阪城ホールへの入場整理券の受付は、すでに終了しています。
昨年12月初旬で定員に達したそうです。

列福式ミサの模様は、YouTubeで同時中継・配信されますので、チェックしてはいかがでしょうか?
配信URLは、www.youtube.com/watch?v=d96PSEkMqHo

ユスト高山右近の列福式に関する情報はこちらにもあります。
カトリック中央協議会のプレスリリース

列福式を司式した教皇代理・アマート枢機卿のミサ説教を引用・掲載します。

ユスト高山右近 列福式ミサ説教

説教中のアマート枢機卿

説教中のアマート枢機卿

教皇フランシスコ代理・アンジェロ・アマート(Angelo Amato)枢機卿

2017 年2 月7日、於.大阪城ホール

1. 日本のカトリック共同体は、キリストの気高い子、その証し人であるユスト高山右近の列福の祭典を祝 っています。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」 というヨハネ福音書12章に記されたイエスのことばが、右近の中で実現しています。加えて、「人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたをも迫害するだろう」というヨハネ福音書15章のことばも、また同様に実現しています。

罪のない良き牧者であり、投獄され、死の判決を受けたイエスのように、その弟子たちも、歴史の中でたび たび迫害され、殺されたのです。ローマ皇帝による最初の迫害から始まり、最近の迫害に至るまで、憎しみと 残酷さは、愛と善と兄弟姉妹の絆で結ばれた善意の世界をつねにおとしめています。

いつくしみが悪に勝ることは、神の思し召しであり、殉教者は、愛に満ちたキリストの国が信じるに足ることを証ししています。殉教者たちは、迫害する人びとに愛をもって向き合い、そのために祈ることさえしたのです。「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と言うマタイ福音書5章44節のことばどおりです。たんに赦しだけではなく、愛と祈りが、敵対する人びとに対する殉教者たちの逆説的な答えになりました。残忍さに対する殉教者の答えは、愛にあふれる親切さです。それは弱々しさではなく、想像を超える強さの現れです。このような方法で、殉教者たちは、罪の汚れのない血によって清め、また豊かないのちの種を蒔くことによって、人間性を善いものに高めます。

日本の教会は、数知れない殉教者の素晴らしい証しによって祝福されています。それはたとえば、聖パウロ三木と同志たち、聖トマス西と同志たち、福者ペトロ岐部とその同志たちです。日本の殉教者たちには、老若男女、武士と一般の人びとなど、あらゆる階層の人びとがいます。福者ユストは、教会における栄光に満ちた最初の殉教者たちがそうであったように、キリストの卓越した証し人です。

2. ここで次の三つについて問うてみましょう。ユスト高山右近とは、だれであったか。そのキリスト者としての神髄はどのように息づいていたか。右近のことばは、現代の私たちにどのような意味があるのか。

ユスト高山右近は、きわめて高い地位の人であり、日本の貴族階級に属していました。合戦で大きな手柄を立てた右近を、秀吉は大大名に取り立てました。右近は、キリストの教えを広めることを望み、日本人の宣教師やカテキスタを育てるため、安土、高槻、大阪にセミナリオを建てました。領内のキリスト者は、きわめて多くなり、1583年には、3万人の領民のうち2万5千人に達し、人口の大半を占めるほどだったといわれ ます。ユストは、大阪の教会も創設しました。また領地が明石に変わったとき、福音宣教活動を広げました。1585年から1587年までに、千人以上が洗礼を受けたのです。

残念ながら、1614年2月、一つの法令が発布されました。それはユストと金沢のキリスト信者に対し、信仰を捨てるよう命じるものでした。これを拒んだ右近は、貧しさと孤独に耐える苦しみの時期を迎えることになりました。まず長崎に送られ、フィリピンへの追放を命じられました。1614年11月8日、300人の日本人信者らとともに長崎の港で乗船し、43日間の長く辛い航海の後、マニラに到着しました。追放と流配によって得た病のために衰弱しきった右近を、1615年2月3日、主は、みもとにお召しになりました。マニラに着いてから44日後のことです。フィリピンでは、右近の死を悼む悲しみは、大きなものでした。人びとは、日本の気高いキリスト者の徳と聖性によって感化を受けました。つぎの詩編のことばは、ユストに帰すことができます。‘Justus ut palma florebit’(神に従う人はなつめやしのように茂り 詩編2.13)、‘In memoria aeterna erit justus’(主に従う人は…とこしえに記憶される 詩編112.6)。

3. 第2の問い、キリスト者としての証しが、どのように息づいていたかを考えてみましょう。源泉資料は、ユストがイエス・キリストの使信、その愛のことば、あがないのわざに魅了されていたことを示しています。 右近は、その確信により、日本の福音宣教に対する不屈の推進者になりました。ほまれ高く誠実な人として 成長したユストは、真のキリストの武人でありました。そのわざにたけた剣ではなく、ことばとわざによる武人です。主イエスへの信頼は、このように、そのこころに、しっかりと根を下ろしたのです。迫害されても、 流されても、捨てられても強くなりました。ユストは、その特権的な地位を失い、生活の貧しさが増し、打ち捨てられ、隠れた境遇になっても、気落ちするどころか、平静を保ち、洗礼のときの約束に、つねに忠実でした。

またユストは、迫害を受けた多くのキリスト者と同じように、悲劇的な死を予感しました。フィリピンへの航海の間、そしてマニラに着いた後、ユストは理解したのです。主が自分に望んでおられるのは、血を流す殉教ではない。ゆっくりと訪れる死、すなわち流刑による幾多の苦しみによって引き延ばされた死です。これは、いわゆる「追放の苦しみによる殉教」(martyrium ex aerumnis exilii,) なのです。殉教は、いのちを差し出すことだけではありません。十字架に釘付けにされた主の苦しみに与ることでもあります。

キリスト信者への迫害は、決して正当化できるものではないことをユストは、よく理解していました。それは、イエスがヨハネ福音書15章22節で「人々は理由もなく、私を憎んだ」と仰せられているとおりです。 しかしロヨラの聖イグナチオの「霊操」によって育てられたユストは、神のはからいのために、自分自身の望みから離れ去り、それを完全に捨てる生き方をしました。

ユストは福音を、日本文化とは無関係の外的なことがらのように理解していたわけでは決してありませ ん。イエズス会の宣教師の理解に同意していました。すなわち護教的な論争を避けたのです。ユストは、悪と死からの解放のためにいのちを差し出したイエスのことばを告げることだけに集中したのです。生涯最後の数か月、霊操の流れに身を任せました。それは、祈り、秘跡、瞑想、そして宣教師との霊的会話によって支え られていました。

それらのおかげで、ユストは、義に満ちた平静さをもって死を受け入れたのです。自分を迫害する人びとのために祈り、彼らを赦し、日本の回心を念じていのちを捧げて死にました。最初の殉教者ステファノのように、ユストは、イエスの名を呼び、自分の霊を主に委ねました。享年 63。過ごした年月の大半は、不和と迫害が続く困難な時代にあって、キリストへの信仰を卓越した方法で証したのです。

4. 私たちの福者が、教会とすべての信者に何を残したのでしょうか。それは、偉大な信仰の宝です。ユストの信仰は、その存在の核心をなすほど成熟していました。ユストは信仰によって活かされていました。その生涯は、日本人としての生であり、茶の湯を含む日本文化を形成する伝統を大切にしました。茶の湯は、ユストによって人びとの交わりと兄弟姉妹の関わりの場になりました。

ユストの行動は、まさしく福音的でした。家来たちととともに憐れみを示し、貧しい人びとを助け、困り果てた侍たちには援助を惜しみませんでした。ミゼリコルディアの組をつくり、病人を見舞い、寛大に施しをしました。父ダリオとともに、家族のない死者の柩を担ぎ、墓に葬りました。それらすべては、人びとを驚かせ、それに倣いたいとの望みを呼び起こしたのです。

迫害に直面したユストは、「人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたをも迫害するだろう」という ヨハネ福音書15章20節に記されたイエスのことばによって照らされました。イエスはご自分を信じる人びとが担う悲劇の運命の中に不在なのでありません。主は、まさに、その中にこそ、存在していてくださることを、ユストは確信していました。ユストは、罪のないキリスト者の嘆きの中に、イエスの受難と死、その復 活がもつ新しい意味を見ていたのです。殉教者は、何も失わず、かえって天上のエルサレムに着き、終わりない至福の中で神と出会うことができると知っていました。

私たちの福者は、自らもまた信仰を証しして殉教した使徒パウロのことばに満たされて生きた人です。
「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢え か。裸か。危険か。剣か。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のもの も、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、私たちを引き離すことはできないのです」(ロ ーマ 8,35.38-39)。

殉教者は、実りのない英雄などではありません。友愛と慈愛を告げる確かな使者です。ユスト高山右近の列福は、神がその摂理によって日本と世界の教会の中に蒔く種なのです。大聖レオは、つぎのように記しています。「教会は、迫害によって弱くなるどころか、強められます。教会は、つねに豊かな実りに富む主の畑です。なぜなら、一粒ずつ地に落ちた小麦は、生まれ変わって豊かなものになるからです」。

私たちの福者の模範が、イエス・キリストの福音への信仰と信頼へと、私たちすべてを突き動かしますように。

福者ユスト高山右近、私たちのために祈ってください。

引用元:カトリック中央協議会

カトリック中央協議会は列福式終了後、ホームページで次のとおり発表しました。

総参加者数、1万人
招待者、約200人
枢機卿、アンジェロ・アマート枢機卿(教皇代理、列聖省長官)、ルイス・アントニオ・タグレ枢機卿(マニラ大司教)
司教、約30人
司祭、約300人
聖歌隊 約1000人
引用元:カトリック中央協議会ホームページ

なお、列福式の模様はユーチューブでライブ配信されましたが、同時に録画もされていますので今後も視聴することができます。

ユーチューブ:ユスト高山右近列福式

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この記事を書いた人
yaziro

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yaziroの名は、1549年聖フランシスコ・ザビエルを鹿児島に案内してきた薩摩の人・ヤジローにあやかっています。

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