『受難の主日』の聖書と説教はこちら

Fr.YASU

2014年/A年説教=神のたしかさ

カトリック:聖ペトロ、聖パウロ使徒(A年)の説教

2014年6月29日(マタイ16.13~19)-朴訥な聖人-2014年4月27日、バチカンで、福者ヨハネ23世教皇と福者ヨハネ・パウロ2世教皇が列聖されました。2か月前の出来事ですが、改めて思い起こしてみますと、なんとわたしたちに身近なお二...
2016年/C年説教=神のぬくもり

復活祭:主の復活は絶望の中に希望を湧きあがらせてくれる

年老いてもなお、周りの人に元気とやる気を与え続けられるひとも、その人なりの「復活」と言えないでしょうか。年齢を重ねて、その年齢にあった魅力を、新たに生み出しているのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

復活の主日:人間的常識にこだわる限り、「わかりません」としか言えない

すべての人に死は訪れます。人間的に見れば、死によってすべてが終わりです。しかし、「主の復活」は神とつながっている限り、死を乗り越えて新たな命につながっていくことを、わたしたちに保証してくださった、大きな希望をいだかせてくれる出来事です。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

主の昇天:節目を大切に!転機に際しては「神の愛」を中心に据えてほしい

主の昇天は弟子たちにとって大きな転換期となりました。わたしたちの日常でも、このような転換期はあります。どのように感じ、意識しているのでしょう。弟子たちは、神に生きる中心をおくことができました。わたしたちは完全にできなくても、少なくとも、その方に向かおうとして祈り、動いているでしょうか。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第22主日:日常の小さな行いの積み重ねがイエスの十字架に繋がる

わたしたちの日常の小さな愛の行いの積み重ねが、イエスの十字架につながっています。大きいことはできなくても、積み木のように一つひとつ重ねていきたいもの。現代では、この「小さなこと」が見過ごされているのではないでしょうか。