2014年6月29日(マタイ16.13~19)
-朴訥な聖人-
2014年4月27日、バチカンで、福者ヨハネ23世教皇と福者ヨハネ・パウロ2世教皇が列聖されました。2か月前の出来事ですが、改めて思い起こしてみますと、なんとわたしたちに身近なお二人だったことかと感じています。現教皇フランシスコは、サンピエトロ広場に集まった80万の会衆に、「二人は勇気といつくしみの人、二人は前世紀の悲劇的な出来事を体験しましたが、それらに打ちのめされることはありませんでした。二人にとって、神のほうがより強かったのです」と、賛辞を呈されました。
神はその時々に適った人材を送りだされるのでしょうが、その招きに応える人がいるということは、その方を通して神の働きをも体験できるということになります。ヨハネ・パウロ二世は、1981年日本を訪問なさいました。東京武道館で、長崎のミサで、身近に拝見することができました。肉声も聞きました。そんな方が「聖人」になられることは、なんと嬉しいことか。そう感じるのはわたしだけでしょうか。
「身近な人」といえば、今日のペトロ、パウロに同じことを感じます。当然のことながら、お会いしたことはありませんが、聖書を通して見える二人のイメージは、「普通の人」だったんだなということです。「遠い人」のイメージがわいてこないのです。自分がいつもしそうな考え、行動パターンを、特にペトロの中に感じてしまいます。向こう見ずでいながら、怖じ気づき、優等生みたいな返事をしながら、こっぴどく叱られてしまう不躾さは、親近感を抱かせます。
見方、いい方をかえれば、ペトロもパウロも、挫折を何回も繰り返しながらも、普通に生きることの中から、信仰を増し、深め、「聖人の座」にたどりついた二人であるといえないでしょうか。人生山あり谷ありです。それは、今も昔も変わりはありません。
今のわたしたちの生きざまも、生きる目的は「聖人になること」です。落ち込みを体験し、失敗の繰り返しを重ねながらも、七転び八起きです。最後は、必ずちゃんとした方向を見据えて毅然としています。日頃の研鑽を重ねていく先に、それがどんな些細なことであっても、喜びが、笑顔が待っています。天の国の喜びに優劣はないのでしょう。大小もないのでは、・・・。
日常の中でいう「朴訥な生き方」、それが今日の二人の聖人の生きざまであったのではないでしょうか。決してスマートな生き方とはいえない二人でした。パウロは、初めはイエスさまの迫害者にまわっていた人です。
今日の二人から生きる力、大きな自信をいただけるのではないでしょうか。大いに彼らの取り次ぎを願ってお願いしましょう。「聖人になる」ことを。
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