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年間第31主日:仕える者になりなさい。高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる

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年間第31主日(A年)の聖書

年間第31主日(A年)の聖書

年間第31主日(A年)の聖書=マタイ23・1~12

2023年11月5日

〔そのとき、〕23・1イエスは群衆と弟子たちにお話しになった。

2「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。

3だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。

4彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。

5そのすることは、すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。

6宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、

7また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む。

8だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。

9また、地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。

10『教師』と呼ばれてもいけない。あなたがたの教師はキリスト一人だけである。

11あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。

12だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

 聖書本文は 日本聖書協会の「新共同訳聖書」から引用しています。
日曜日の聖書は、日曜日の説教とともに毎週木曜日の夕方に更新されます。
カトリック教会では日曜日のことを主日(しゅじつ)と言います。

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YASUさんはカトリックの神父さんです。

2023年11月5日の説教

年間第31主日:一番偉い人、それは「仕える者」「へりくだる者」です
イエスに従う弟子のうちで一番偉い人は「仕える者」です。言い換えると「自分を低くする=へりくだる者」です。隣人愛は、その根底にあるのが「神に仕えている」ということです。そして、それを初めに示した方、それがイエスです。

2017年11月5日の説教

年間第31主日:わたしの「権威」のよりどころはどこにあるでしょう?
「権威」は、その人に託された役割をよりよく奉仕できるように付与されているもの。奉仕のための力、エネルギーです。これが、外面的にはイエスさまの姿でもありました。イエスさまの裏付けがある本物の「権威」を求めていきたいものです。

2014年11月2日の説教

年間第31主日:権威は、何を根拠に成り立っているのでしょうか?
人間社会の中の権威は、どこか傲慢的で人を見下し、打算的な気がします。しかし、どんな権威でも、正しいことをいっている限り、その権威を否定しないのがイエスさまです。

2011年10月30日の説教

年間第31主日:人間にエゴがある限り権威は堕落する可能性大
謙虚さ、誠実さ、純粋さが神に向かう生き方の原動力になります。ここに本来の「奉仕」の心があるのではないでしょうか。このような権威を持った人との出会いができることは、なんと幸いなことでしょうか。黙っていても安らぎと充実感を味わえそうです。

第一朗読と第二朗読を下の方に掲載しましたので、続けてお読みくだされば嬉しいです。実は、カトリック教会の主日(日曜日のこと)のミサでは第一朗読、第二朗読に続いて、三番目に上記の聖書(福音書)が朗読されます。

【注】第一朗読は復活節を除き、旧約聖書が朗読されます。因みに、復活節は新約聖書の使徒言行録が朗読されます。また、第二朗読では、新約聖書の中の使徒書と呼ばれる聖書が朗読されます。

第一朗読>>マラキの預言

(マラキ1・14b~2・2a、8~10)

わたしは大いなる王で、わたしの名は諸国の間で畏れられている、と万軍の主は言われる。
祭司たちよ、今あなたたちにこの命令が下される。
もし、あなたたちがこれを聞かず、心に留めず、わたしの名に栄光を帰さないなら、と万軍の主は言われる。わたしはあなたたちに呪いを送り、祝福を呪いに変える。
だが、あなたたちは道を踏みはずし
教えによって多くの人をつまずかせ
レビとの契約を破棄してしまったと
万軍の主は言われる。
わたしも、あなたたちを
民のすべてに軽んじられる価値なき者とした。
あなたたちがわたしの道を守らず
人を偏り見つつ教えたからだ。
我々は皆、唯一の父を持っているではないか。
我々を創造されたのは唯一の神ではないか。
なぜ、兄弟が互いに裏切り
我々の先祖の契約を汚すのか。

第二朗読>>使徒パウロのテサロニケの教会への手紙

(Ⅰテサロニケ2・7b~9、13)

〔みなさん、〕わたしたちは、あなたがたの間で幼子のようになりました。ちょうど母親がその子供を大事に育てるように、わたしたちはあなたがたをいとおしく思っていたので、神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです。あなたがたはわたしたちにとって愛する者となったからです。
兄弟たち、わたしたちの労苦と骨折りを覚えているでしょう。わたしたちは、だれにも負担をかけまいとして、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えたのでした。
このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。

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yaziro

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yaziroの名は、1549年聖フランシスコ・ザビエルを鹿児島に案内してきた薩摩の人・ヤジローにあやかっています。

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