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待降節第2主日:神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。

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待降節第2主日(C年)の聖書

待降節第2主日(C年)の聖書

待降節第2主日(C年)の聖書=ルカ3・1~6

2024年12月8日

3・1皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、

2アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。

3そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。

4これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、
その道筋をまっすぐにせよ。

5谷はすべて埋められ、
山と丘はみな低くされる。
曲がった道はまっすぐに、
でこぼこの道は平らになり、

6人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」

 聖書本文は 日本聖書協会の「新共同訳聖書」から引用しています。
日曜日の聖書は、日曜日の説教とともに毎週木曜日の夕方に更新されます。
カトリック教会では日曜日のことを主日(しゅじつ)と言います。

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2024年12月8日の説教

 

2021年12月5日の説教

待降節第2主日:自らに目覚め、ゆるされたいと願う真剣な自分がいるか?
マイナスやプラスの報道双方に「神からの救いの業のしるし」を見つけていただきたい。わたしたち日本人が大事にしてきたこと、置き去りにしていることは何でしょう。身近なそこにこそ、「神の救いの業の示し」がありはしないでしょうか?

2018年12月9日の説教

待降節第2主日:神の「つぶやき」を心の耳を澄まして、聴きとりたい
「荒れ野」は、彼らが故郷へ帰るにはあまりにも過酷な世界でした。この砂漠があること自体、彼らの心身のやる気が削がれていったのです。それでも、すべての人は神の救いを見ることができる、と声高らかにヨハネは宣言します。

2015年12月6日の説教

待降節第2主日:神主導で整えられ、導かれ、希望の道が荒れ野に敷かれる
わたしたちからどんなに裏切られ、無視されたとしても、神のわたしたちへの愛の情熱は消えることがないということでしょう。

2012年12月9日の説教

待降節第2主日:回心の必要に気付くのも神のいつくしみ
神はやはり生きておられるのです。神のいつくしみが、苦悩のどん底でゆるされなければならない「自分」たちであることに気付き始めさせたのでした。

第一朗読と第二朗読を下の方に掲載しましたので、続けてお読みくだされば嬉しいです。実は、カトリック教会の主日(日曜日のこと)のミサでは第一朗読、第二朗読に続いて、三番目に上記の聖書(福音書)が朗読されます。

【注】第一朗読は復活節を除き、旧約聖書が朗読されます。因みに、復活節は新約聖書の使徒言行録が朗読されます。また、第二朗読では、新約聖書の中の使徒書と呼ばれる聖書が朗読されます。

第一朗読>>バルクの預言

(バルク5・1-9)

エルサレムよ、悲しみと不幸の衣を脱ぎ、
神から与えられる栄光で永遠に飾れ。
神から与えられる義の衣を身にまとい、
頭に永遠なる者の栄光の冠をつけよ。
神は天の下のすべての地に
お前の輝きを示される。
お前は神から「義の平和、敬神の栄光」と呼ばれ、
その名は永遠に残る。
エルサレムよ、立ち上がれ、
高い山に立って東の方に目を向けよ。
お前の子らは、
神が覚えていてくださったことを喜び、
西からも東からも
聖なる者の言葉によって集められる。
お前の子らは敵に追い立てられ、
徒歩でお前のもとを去ったが、
神は彼らを、玉座につく王のように高く上げ、
栄光のうちにお前のもとに連れ戻される。
すべての高い山、果てしなく続く丘は低くなれ、
谷は埋まって平地になれ、と神は命じられた。
それはイスラエルが神の栄光に包まれ、安全に歩むため。
森も、香り高いすべての木々も、
神の命令でイスラエルのために木陰をつくる。
神は自らの慈しみと義をもって栄光の輝きを表し、
喜びのうちにイスラエルを導かれる。

第二朗読>>使徒パウロのフィリピの教会への手紙

(フィリピ1・4-6、8-11)

〔皆さん、〕わたしは、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。わたしが、キリスト・イエスの愛の心で、あなたがた一同のことをどれほど思っているかは、神が証ししてくださいます。わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。

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yaziro

このサイトの運営者yaziro(ヤジロー)➡ カトリック教会のこと、デジタルのことに関心を持つ iPhone 好きジイジです。
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yaziroの名は、1549年聖フランシスコ・ザビエルを鹿児島に案内してきた薩摩の人・ヤジローにあやかっています。

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