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待降節第3主日:隣人愛の実践。心の扉を開いてクリスマスの準備を

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待降節第3主日(C年)の説教=ルカ3.10~18

2015年12月13日

神のぬくもり毎年12月ともなれば、今や教会だけでなく、各家庭でも明るい雰囲気のクリスマスの準備が、積極的になされています。わたしの田舎に行きますと、自宅の家全体に電飾を配し、名物になっている地区もあります。それだけキリストの誕生は、世界中の国、民族、宗教を超えてお祝いされているということができるでしょうか。それで思い出しました。

とあるお寺の幼稚園の園長先生から相談されたことがありました。保護者のみなさまから幼稚園で「クリスマス会」を是非やってほしいとの要望が出されたそうです。園長先生は困ってしまったということです。わたしがどう対応したかはご想像にお任せいたします。結果、園長先生は喜んでお帰りになりました。

わたしたちはできる精一杯の準備をします。しかし、実際「どうすればよいのでしょうか」という問いは残ります。完璧にはできないからです。しかし、準備したその時が、一番満足のいく準備だったことは確かです。本番を迎えた時に、ああすればよかった、こうすればよかったということが出てくるのはいつものことです。

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とはわかっていても、その頻度をできる限り少なくするために、今日の福音にあるように「わたしたちはどうすればよいのですか」と確認することは求められるでしょう。クリスマスを迎えるわたしたちは、はたしてどんな準備を進めればいいのでしょう。

年間の恒例行事としての位置づけで、ツリーを飾り、リースを作るとはいっても、真剣な緊張感で備えているでしょうか。当時のイスラエル人がメシアを待って祈っていたように。会いたかったのです。だからこそ「わたしたちはどうすればいいのでしょうか」とヨハネに尋ねてしまったのです。それは、彼らの心底からの願いでした。

ヨハネは特別なことを言いません。誰にでもできるごく普通なことを示します。「二枚の上着を持つ者は、持たない者に分け与えなさい。・・偽りの訴えをしないように・・質問した人々の仕事、役割に応じた内容のことをするように促します。いわば、隣人愛を勧めたのでした。生きる場で、神のいつくしみを背景に、隣人へのやさしさ、思いやりを実践しなさい、というわけです。

クリスマスを準備するにあたり、今一度、新たに「隣人愛」の実践を通して、イエスさまとの出会いを最高のものにいたしましょう。そして、「いつくしみの扉」をくぐり抜けて、イエスさまとの出会いを喜び合えますように、・・。今日、特別聖年の扉が一斉に開けられます。

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