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2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め 2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

カトリック典礼暦年2023年(2022年11月~2023年11月)は、主にマタイ福音書が朗読されるA年。

わたしたちは「弱さ」そのものです。だからこそ神は、いつもわたしたち一人ひとりを心にかけてくださっています。そして、救おうとされるのです。
イエスのわたしたちへのみ言葉は、父なる神からの救いへの招きであり、わたしたちにとっては出来事の見極めが求められます。なぜなら、イエスが「わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。」(ヨハネ6章38節~39節)とおっしゃっておられるからです。つまり、日常生活の中で、善悪の紛らわしい出来事を前にしたとき、よりよいものを見極めようとするとき、その判断の原点になるのは、「み言葉」にあるということです。
今年は、わたしたちの日常の生活現場で、さらに挑戦しましょう、イエスの一挙手一投足に気づく日々でありますように。そして願い、祈ります。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

待降節第2主日:救い主を待つことが今の生き方にどんな影響を与えるのか

「救い主が来る」ということが、「わたし」の今の生き方にどんな影響がありますか。そのことを、今日の福音のみことばから、イスラエルの人々の「待つ姿」の中に見出してみましょう。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

待降節第1主日:キリストの降誕を待つ者は、「わきまえる」ことを知っている

きょうのイエスの招きは「わきまえていなさい」ということではないかと思うんです。「わきまえ」があれば、どのような場面に遭遇したとしても、賢明な判断と行動ができるようになっていきます。これが「待つ」ことの実りではないでしょうか。
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