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年間第22主日:恵みは外見にではなく、人の変わらない内の姿に注がれる

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年間第22主日(B年)の説教=マルコ7.1~8,14~15,21~23

2015年8月30日

イエスの心今、社会で問題になっている出来事の一つに、2020年開催予定の東京オリンピックの「大会エンブレム」騒動があります。海の向こう側では裁判が始まってしまいました。日本国民の反応はと言えば、85%が見直しをしたほうがよいという意見のようです。これから、いろいろな機会にエンブレムが使用されることを考えれば、法律上OKサインが出たとしても、心情的にすっきりとしない思いがそうさせているのでしょう。

わたしたちが強い期待感と信頼心を持っていた人であればあるだけ、その実りが、その人から得られなかったとき、その「がっかり感」は大きくなります。「オリンピック」というビッグイベントの開催に当たり、大きな期待感をもって、あの発表の日を待っていた人が多かったのではないでしょうか。それだけにこの度の騒動はいただけないのでしょう。

イエスさまの時代にも、イエスさまとその弟子たちに対して似たような現象があったのです。人々から尊敬され、慕われているイエスさまが、まさかそのようなことをするとは思っていなかったのでしょう。つまり、ファリサイ派や律法学者たちが大事にしていた昔の人の「言い伝え」の順守を批判なさいます。彼らが大事にしていたことは、その実、かれらにとっては最大の弱点でもあったのです。

現代でも同じようなことが言えますが、長い世代を経て「伝統」が生まれてきますと、形が力を持つようになります。「恒例」とか「慣習」とかの名のもとに、人々を教育していきたくなるものです。

当時のファリサイ派の人々も、それと同じような状態にあったのです。人間が身体的存在である限り、「形」を無視することはできないでしょう。だからと言って、形を整えることがすべてであっては本来のものが見えにくくなります。人の外側に現れるものはその人の内側にあるものであるべきでしょう。その人の「本物」です。

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今日の福音の中で、人が当時の社会を生き抜いていくための通常の姿は、「形」を保ち、生きることを重視する傾向にあったのでしょう。だからイエスさまは言われます。「あなたがたは神の掟をなおざりにし、人の言い伝えを固く守っている」と。そういうかたわらで、イエスさまの弟子たちが手を洗わないで食事するのを見て、つまずくのです。そして、今の社会でも、教会の中に「変な人」がいるのに驚き、つまずくのです。

昔も今も、人の外見に現れる姿は変わりうるものです。変わることのない内なる姿に、イエスさまは恵みを注いでいこうとされます。こうなってこそ、信頼と期待は裏切られることがなくなります。わたしたち一人ひとりがそうありたく、日々訓練してまいりましょう。

オリンピックのエンブレムはどうなるのでしょう!?

 

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