主の昇天(A年)の説教=マタイ28・16~20

2017年5月28日

2017年説教の年間テーマ「神のふところ」
【神のふところは限りなく大きい】

わたしたちの日常は、人との出会いがあり、出会いの後には、必ずと言っていいほどに、別れがあります。その別れも、その方が自分にとって心地よい人であればあるだけ、辛いものになっていきます。

数えたことはありませんが、いかほどの別れがあったでしょうか。今でも、心に残っていて、その影響を感じている人はいらっしゃるのではないでしょうか。身近な人からいうならば、両親、兄弟姉妹、親類方、学校の教師、職場の先輩後輩、近所のおじさん・おばさんなど、たくさんの顔顔が浮かんできます。

それも、年齢によって、受ける刺激、激励等の重みの感じ方が違ってきましたし、さらに、自分の生活環境の違いから、そのニーズも変化してきました。生きている限り、いろんな変化に伴い、「心地よさ」にも変化が生じてきます。

イクボス(育児に理解のあるボス)を新聞で初めて知った

今まで、そのことばを知らなかったんですが、新聞記事に「イクボス育成中」の活字を発見しました。「イクボス」って何だろうと思って読みいってしまいました。それは「育児に理解のあるボス(上司)の略称」という説明がありました。したがって、「育成中」ということは、仕事と生活の調和を図るワーク・ライフ・バランス(WLB)を進め、多様な人材が活躍する職場をつくる狙い」を込めて、部下の育児参加に理解のある管理職を養成しようというものです。(讀賣新聞大阪本社2017年5月22日朝刊)

子育てに積極的に参加する「イクメン」の育児休暇の取得は、なかなか進んでいないのが現実です。厚労省の調査では、2015年度の育休取得率は女性81.5%に対して、男性は2.65%だったそうです。

イクボス育成が前進することに期待したい

社会の変化に伴う必要性を考慮する時、仕事と育児両立の職場にしていくことが「いいこと」とはわかっていても、会社が自ら進んで改革しようとする動きは、日本ではあまり感じないのではないでしょうか。どうしてなんでしょうか。将来の日本を背負っていくであろう子どもたちを、今のような環境で育児してもいいんでしょうか。どうでしょう。

いくつかの会社が「研修制度導入」とはいえ、動きを始めていることは、大きな前進でしょう。そのうちに、あの時の「イクボス」のおかげで、自分も家族も大いに助かりました、と感謝したくなる時が訪れるのではないでしょうか。

「イクボス」自身も子育て奮闘中のはずです。置かれた場面場面で、生活の比重をどこに置くのかによって、よき父親、よき上司として、ますます研ぎ澄まされていくのではないでしょうか。「感謝される」ために、「イクボス」になるのではないでしょうが、「情けは人のためならず」と言います。

イエスは弟子たちを忍耐強く励まし、導いた

イエスさまは、何も人からの返礼を期待する方ではありません。弟子たちにとって、イエスさまはすべてでした。荒削りでやんちゃな漁師だった弟子たちを、忍耐深くつつみこみ、励まし、優しく導き出されたのです。弟子たちはこうしたイエスさまに完全に寄りかかり、支えられ生きてきたのです。

にも拘わらす、イエスさまの十字架の前では、逃避行でした。弟子たちのすべてが露になったのでした。いやというほどに、自らのダメさ加減を味わったのです。イエスさまはといえば、それでも、弟子たちの裏切りをゆるし、しかも、立ち直らせようと新たな導きを示されるのです。

そのイエスさま、自分たちの師が、自分たち(弟子たち)の目の前で天にあげられていったのです。自分たちの視界から消え、どう頑張っても自分たちではどうしようできない世界へと行かれました。残された弟子たちにとって、何があるのかといえば、「不安」だったのではないでしょうか。さびしくもあったでしょうが、いつ何時、自分たちの弱さ、醜さ、頼りなさが顔を出してくるか、不安が走ったのではないかと思うのです。

弟子たちに自立への準備を促す「主の昇天」

しかし、人間的な甘え、依存症から脱しなさいといって、弟子たちを突き放します。
「わたしが去っていくのは、あなたがたにとって有益である」(ヨハネ16章7節)
その上で、聖霊の注ぎによって、自立への道を弟子たちに準備なさいます。イエスさまはいなくなったのですから、「見ないで信じる信仰」へと弟子たちを招かれるのです。

「見ないで信じる信仰」への招き

つまり、感覚的になにも感じられない時でも、イエスさまの自分たちへのかかわりを見つめることができるようになったのです。質的に信仰が高められていったのです。これはまさに、弟子たちが幾多の苦労、試練を体験した後の聖霊の働きです。

イエスさまは、いつの時代も、だれにとっても「イクボス」(理解と配慮のある方)です。