年間第31主日(C年)の説教=ルカ19・1~10

2016年10月30日     

神のぬくもり非行を犯した子どもたちの指導に携わっている精神科医の定本ゆきこさんは言われます。「子どもたちに感じるのは人間関係能力が育っていないということ。人と人との言葉のやりとり、表情、身振りなどから、本来、子どもたちは人の思いを読み取る力を身につけていきます。今はメールや携帯、ゲームに代表されるように瞬間的、視覚的です。そのようにして育つ子どもの心の発達がアンバランスになっている心配があります」と。

人は人を相手にして、人との交わりを通して、人としての育ちを前に推し進めていきます。これは人としての自然な姿であり、時代を超え、民族を超えて言える現実であろうと思います。したがって、対人関係の豊かな人ほど、より人間らしく、奥行きの深い人柄、人となりを兼ね備えているのではないでしょうか。

この点から見ますと、イエスさまは人には真似できないほどの豊かな「人脈」をおもちでした。当時のエルサレム市民としての常識、感性を身に帯びていたといえます。

「大胆不敵」という言葉がありますが、今日の福音書を見ますと、イエスさまは、まさにそのような動きをなさいます。「肝っ玉が大きく、何事にも動じない」言動が、今日のザアカイに対して向けられました。

取税人は、ローマのためにユダヤ人から税を取り立てる人です。しかも、高い手数料も取ってしまうということで、ユダヤの人びとからは大層に嫌われていたのです。ザアカイ自身、人々からの冷たいまなざしを感じながらも、しかし、そんなことに負けまいとして辛いながらも、歯を食いしばって日々を過ごしていたのではないでしょうか。だからこそ、温かい優しさへの願望が日々募っていったのも事実です。その思いが、「木に登った」ザアカイの姿に表れているといえます。

「ザアカイ急いで下りて来なさい。今日、わたしはあなたの家に泊まるつもりだ」。イエスさまは木の下を通り過ぎようとする時、上を見上げ、いきなりこう言われたのです。この言動は大胆です。取税人を軽蔑する人が群がっているその中で断言されたのです。

人の心の琴線に触れることの体験は、その人を新たな自分に気付かせる力を持っています。今日のザアカイはまさにそうした状況にあるのでしょう。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します」と、ザアカイに決断させるほどのエネルギーです。

わたしたちも似たような体験があるでしょう。思い出してみましょう。それがあって、今の自分があるとも言えます。よい隣人は宝物です。