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年間第25主日:人が追い詰められたときの着眼点は「抜け目なさ」です

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年間第25主日(C年)の説教=ルカ16.1~13

2016年9月18日

神のぬくもり昔からよく言われることに、「女性は恋をするときれいになる」とか「妊娠するとぐっと落ち着いた女性になる」とか、親御さんからしますと、特に父親にとって、いつまでも「かわいい娘」でいるのに、びっくりさせられるのだそうです。

娘が大人の女性になってくると、さびしくなってくるのでしょうか。子どもの成長って、嬉しいことであるのに、反面、内心どこかでさびしくなっていくものなんでしょうかね。

親としての気持ちの揺れ、親ならば、誰でもが体験していることであろうと思います。こうした気持ちの緊張体験を経て、自分もさらに親らしくなっていくんでしょうね。いつの時代の人間も、同じような生きる道を辿っていくのではないでしょうか。

嬉しい時の緊張感は苦になりません。むしろ、その人の成長に直結しているような気がします。逆に、苦しい時の緊張は、人を追い詰めていきます。自らを追い込んでいく負のエネルギーとして蓄積されていきます。結果が良ければ大して苦にはならないんですがね。単に、苦い思い出として残るだけです。

今日の福音書で、イエスさまは「不正な管理人」のたとえ話を登場させます。何とも不可解な話です。追い込まれてしまった管理人の環境は、どのように生きる道を探せばいいのか、不安からの脱出のみです。「火事場の馬鹿力」ではないですが、差し迫った状況では、人間は普段は考えられないような力を発揮します。

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その力が物理的なものであるなしに関係なく、人間ならではの脱出劇をやってのけます。経験おありの方もいらっしゃるのではないでしょうか。火事の現場で、箪笥の下敷きになったわが子を救うために、普段は動かすこともできないお母さんが箪笥を持ち上げて、できた隙間から子どもを救ったという話を聞いたことがあります。

肉体的な力だけでなく、脳の力も働くんですね。イエスさまの話は、不正な富の運用を巧みにこなした管理人の離れ業、振る舞いをほめられます。そもそも「不正」な管理人といわれているのですから、その人の業は「不正」なのではないでしょうか。

イエスさまの話に留まりながら、じっくりとみことばを読み込んでいきますと、あることに気付きました。イエスさまは不正な管理人のやったことの真似をしなさい、と言うよりは、彼の「抜け目なさ」をほめ、不正な富で友をつくりなさいと言われています。「不正な富」とは不当なやり方で得た富というよりも、天の国に対して「この世の富」の意味合いと考えた方がいいでしょう。

人が追い詰められたときの着眼点は「抜け目なさ」なんですよ、と、当時まだ生ぬるかった弟子たちに知らしめたのではないでしょうか。今のわたしたちへの呼びかけでもあります。緊張感を抱いていますか、・・!?

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