年間第18主日(C年)の説教=ルカ12.13~21

2016年7月31日  

神のぬくもり松下幸之助氏曰く。「きのうと同じことをきょうは繰り返すまい。どんな小さなことでもいい。どんなわずかなことでもいい。多くの人びとの、このわずかなくふうの累積が、大きな繁栄を生み出すのである」と。

誰でも、いきなり大きいことができるわけがありません。世の中の「偉人」と呼ばれる方々は、みなさん努力家ではないでしょうか。スポーツの世界、芸術の世界、その他学問の世界等、その人のものになっている技術、その人たらしめていると言えるような気がします。

また、人間が「人間らしく」生きること、生きる時ってどのようなことをいうのでしょうか。基本的には、働いて誰かの役に立つことを目指しているような気がするのです。そうです。他者が喜び、役に立つ何かを発想し、そうできた時に充実感が訪れるのではないでしょうか。そのためにも、地味な積み重ねが大切であることは経験済みです。

何の積み重ねもなしで、躍動的な、満足のいく「人間らしい」生き方は生まれてこないような気がします。先祖、親の遺産相続を当てにして、一生安らぎある人生を味わえるでしょうか。

確かに、財産がないということは、将来生きることへの不安を感じさせます。ところが、資産、富に恵まれると生きていくうえで、確かに大きな力になり、安堵感を覚えます。瞬間的、一時的な体験はありますが、・・。

今日の福音は、遺産、財産、富に関するイエスさまの教えが述べられています。わたしたち人間の富や財産への執着は、昔も今もそう変わりがないのかなと思ったりします。

「富は多くの友人をつくるが、貧しい人は友人に見捨てられる」(格言19の4)とあるように、富を持っているか否かで、その人の価値評価が左右されるようです。その上、金持ちがおだてられ、丁寧にもてなされる、この傾向は現代でも同じであるような気がします。

しかし、人間の弱さ、病、老い、死は例外なくすべての人にふりかかります。そして、いかに科学が進歩しても、いくら財産を持っていても、これらから逃れることはできません。だから、元気なうちに人生を楽しもうと、やりたい放題のかぎりをつくす人がいるやに聞きます。イエスさまはこうした人のことを「愚か者」と言います。

わたしたちの人生の最終目的は、神との直接な出会い(天国)です。それは、この世の延長上にあります。わたしたち一人ひとりの人生は、隣人(他者)との出会いを通して、神との出会いに向けられています。だから、今の生活で、日々の小さな積み上げを大事にしたいですね。神に「わたし」らしく評価されるために。ここに「わたし」の繁栄があります。