復活節第5主日(C年)の説教=ヨハネ13.31~33a、34~35

2016年4月24日

神のぬくもりいつの時代もそうでしょうが、物事が順調に進んでいるとき、得てして見落としている大事なことがあります。そのことに気付かないほどに順調な波なのです。それが一度躓いてしまうと、見落としていたものが影響し、甚大な被害を受けてしまいます。が、同時に、新しい波が(絆)生まれてくるのも事実です。

この度の「熊本地震」では、地震そのものは避けようもないのでしょうが、その後の避難生活の中で「エコノミークラス症候群」による死者が出てしまいました。何が落ちていたのでしょうか。そして、どのような新しい波が生まれたでしょうか。

今日の福音では、日常あまり気にしていなかもしれないことに、気付かせてくれているようです。「隣人愛」という言葉は、よく口にしますし、耳にします。いわば「慣れっこ」になってしまって、特別なこととして思ったこともないでしょうし、比較的重要なこととも認識されていないのではないでしょうか。

イエスさまはそこに「新しさ」を加味されます。「わたしは新しい掟を与える。あなたたちは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたたちを愛したように、あなたたちも互いに愛し合いなさい」と。

ユダヤ人にとって、「隣人愛」は特別に新しい掟でもありません。なのに、わざわざイエスさまが取り上げて言われるのにはわけがありそうです。旧約時代は「自分と同じように、・・」と言って、愛する基準が、根拠が「わたし」でした。その「わたし」は変わりやすく、弱い存在です。自分の都合によって「基準」が変遷してしまうことも多々です。「愛」の担保にすることなど土台無理なことなのでしょう。

そこで、新しい基準として、イエスさまご自身を示されます。隣人愛、兄弟姉妹愛が、その深さ、豊かさ、持続性においても、その理想とするところはイエスさまの愛し方にあるというのです。

それは、イエスさまが神の独り子でありながら、それに固執せず、人にののしられながら十字架刑を受け取られた姿の中にあります。人間への愛が、イエスさまを揺り動かしたのです。一点の曇りもない完璧な、真剣な愛の、人間に対する働きかけです。わたしたちの日常生活における「隣人愛」の実践は、こうしたイエスさまの生きざまに繋がることであり、救いの保証なのです。

だからこそ、順風満帆の時こそ、「人」を意識する時を持ちたいものです。