四旬節第5主日(C年)の説教= ヨハネ8.1~11

2016年3月13日 

「話の面白い人というのは、誰もがその分だけ、経済的、時間的に、苦労や危険負担をしている。人生というのは、正直なものだ。・・わたしの実感によると、人生のおもしろさは、そのために払った犠牲や危険と、かなり正確に比例している。冒険しないで面白い人生はない、と言ってもいい」

神のぬくもりというのは作家の曽野綾子さんです。

人は、古今東西を問わず、各々の「自分史」を持っています。誰一人として全く同じ歩みを刻む人はいません。だからこそ、一人ひとりの存在価値と存在理由があります。だからこそ、すべての人は個性を伸ばしながら成長していくのです。さらに、その人がどのような環境に生きているのかによって、育ちの実りに変化が生じます。

今日の福音に登場する人たちは、その生きてきた環境の違いを感じさせます。律法をよく学び、よく守ろうと努めていた宗教的に熱心な人たち。生きるためにやむを得ず罪を犯してしまった女性。前者は、自分たちの熱心さを誇りとし、律法を守らない人たちを軽蔑し、裁きの目で見ていました。これこそ、彼らの大きな誤りでした。そういう姿勢が表れています。後者は、ひたすら自分のなした行いの大きさに打ちひしがれ、うなだれているだけです。なんといいましても現行犯でした。

その裁きについて、高みの見物を決め込んでいた律法学者たちは、イエスさまの意外な言葉に驚き、その矛先が自分たちに向けられていることに気づかされます。「あなたたちの中で、罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と。

このイエスさまの一言は、他人事として、この出来事を見ていた人たちに、自分の内面を見てみなさいと促しておられるのです。「あなた自身はどうなのですか。この人を裁けますか?! 自分には罪がないと胸を張って言えるのですか」と問われているようです。

これを聞いた人は一人ひとりとその場からいなくなってしまいます。この女を裁く人は誰もいなくなりました。イエスさまは「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」と言われます。

この女性にとって、この度のイエスさまとの出会いは、生涯忘れることのできない恵みの時になったに違いありません。その後、どのような生き方をしたのか知る由もありませんが、新たな一歩を踏み出す勇気をいただいたのではないでしょうか。

わたしたちも「自分史」の中で、イエスさまとのたくさんの出会いがあっています。新たな一歩を踏み出す力をいただきたいですね。必死に祈り、願いましょう。