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主の公現:救いは自ら放棄しない限り無限に広く行き渡る

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主の公現(C年)の説教=マタイ2.1~12

2016年1月3日

神のぬくもり新しい年が明けました。心と気持ちも、そして、体もリフレッシュして新たな年を歩み始めましょう。今年は、さらに、神のいつくしみの中で、親しい隣人との触れ合いを通して、人として、信仰者としての成長を自分に期待しながら進められるといいなと思っております。

今日は、ご公現の祝日です。この日は、教会の祝日の中でも古い祝日の一つです。神が人々の「主」としてご自分をあらわされたことを祝う日です。今日生まれた方、イエスが救い主である、王であるということを誰が知ることになったか、ということを、今日の、み言葉は敢えて説明しているように思います。

その「誰」かが誰かといいますと、聖書では「マギ」、マジシャンといわれます。星占い師です。ユダヤの社会では一番、軽蔑されていた人々です。その人たちが、不思議な星に導かれて東方からやってきたのです。ユダヤの世界では救われがたい人々の代表みたいな存在でした。そのような人がイエスさまの誕生時に、いわば、招待されたのです。

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イエスさまの誕生に関わる一連の出来事の中に、メッセージが込められています。神は、目立たない人、社会の片隅で生きることを余儀なくされている人、身体にハンディを負っている人、人々から無視されている人、このような人々にご自分をあらわされることを常套手段とします、ということを伝えようとしているのではないでしょうか。だからこそ、イエスさまは貧しくお生まれになったのでしょう。人間の常識では普通ではないやり方で「救いの歴史」を刻んでいかれようとなさいます。だからこそ、わたしたちの救いは「普遍的」です。落ちこぼれる人はないのです。救いは、限りなく広く行きわたるのです。その人自らがそのことを放棄しない限り、・・。

教会の中を見てください。どのような人がいらっしゃいますか。今の共同体の現実をしっかりと直視しながら、気持ちよく、楽しく交わっていきたいものです。良し悪しの判断は神に任せましょう。わたしたちは、ただひたすらに託されている役を生きることによって、わたしの信仰を見せ、語り継いでいきたいものです。信仰者として、社会人としての日常を坦々と生きることです。無駄な(?)エネルギーを費やすことなく、無理に背伸びすることもなく、自分の背丈にあった動きができればいいのです。そのためには、「己」を知ることですね。

東方のマギは己の身分に気付いていたからこそ、まことの光を求めて旅立ったのでした。心の飢え渇きをいやすために自ら求めて旅に出ました。

こうして、異邦の民にもイエスさまの救いは届いたのでした。イエス誕生の次第は、その後のイエスさまの役割の内容を伝えているといえないでしょうか、・・?!

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