待降節第4主日(C年)の説教=ルカ1.39~45

2015年12月20日 

神のぬくもり一年も終わりに近づきますと、何かしらそわそわしてくることはありませんでしょうか。母親は正月の準備で心身ともにフル回転。父親は仕事納めのことを考え、それこそ走り回っている、ということはないでしょうか。

毎年めぐってくる「師走」なんですが、その度に、どこか不完全燃焼のまま正月を迎えてしまう感をぬぐえないのはどうしてでしょう。「こうしなければいけない」と、どこか構えてしまっているのでしょうか。それをいつも果たせないまま、「なんとなく」クリスマスを、正月を迎えているような気もします。なかなか自分の思うとおりに事が運ばない時、失望感に襲われてやる気をなくしたり、辛い状況に追いやられてしまうことはよくある話です。その期間が長くなると、日常生活に影響してくることもあります。

今日の福音で大事になる言葉は「主から告げられたことが成就すると信じた方は、ほんとうにお幸せなことです」というマリア賛歌です。主から告げられたこと、とは、救い主をかならずおくるという約束でした。これは、マリア誕生の数千年前に言われたことであり、それが歴代の預言者たちを通して語り継がれてきたことです。民は救い主到来を望みながら祈り、祈りながらその実現のはやからんことを願ってきたのです。

また、神の約束の言葉はほんとうなのか、疑いたくなるようなさまざまな体験を、その間、してきたのです。民族の心の支えであった神殿も壊され、男たちは戦争に奪われ、罪のない人たちが奴隷として異国に連れ去られていったりもしました。こんな辛い、悲しい出来事が長く続きますと、信仰を失わせるだけの大きな誘惑にもなってきます。こんな社会的、信仰的苦悩を抱えながら、何百年も「救い主・メシア」の到来を待ち続けたのです。主から言われたことだから、・・という保証のもとに。

そして、ついに長い年月を経た今、マリアを通して神の約束は実現されたのです。マリアの中に生きていた信仰は、実に、イスラエルの民が幾多の試みを通して積み上げられてきたまことの信仰でした。次々に起こる不可能と思われる出来事を前に、必ず実現するとの強い希望を捨てることのなかった固い信仰でした。望みがなくなりそうなその時にもなお、望み続けてきたマリアの信仰が、ガブリエルのお告げを呼び寄せたのです。

素朴な日々の動きの中で、神の約束はさりげなく履行されます。日々の一歩一歩は神の思いの現れなのです。だから「今」を大事にするのです。神は必ず人間にいいことをしてくれると希望し、信じていきたいです。マリアに倣って、・・。