カトリック/復活節第4主日(B年)の説教=ヨハネ10.11~18)

2015年4月26日

message-eyecatch2「かわいい子には旅をさせよ」と言われた時代がありました。それが「かわいい子には楽をさせよ」に変わってきたのではないか、と感じさせる時代になったのではないかという気になります。でも、そのことが意識されているとも思えません。 時の流れに沿って変化するものしないもの、便利になること不便になること、いつの時代にもありうる現象だなと思います。表に出てくる面、表現は変わってしまっても、内面は変わることなく、むしろ深まってくることはあります。

「かわいい子には・・」も、表現は変わっても内面は深まり、そのあまり、「楽をさせよ」という説明に変わってきたのかもしれません。 いずれにしても、親の子に対する温情は時代を超えて、民族を超えて不変です。

このような関係は、親子関係のほかにもあり得ます。師弟関係、先輩後輩関係、恋人関係等、その中身は変わっていても不変なものでしょう。

最近ではペットの話が頻繁に登場してきます。特に高齢化が進み、一人暮らしのお年寄りが多くなったことへの、一つの対策でもあるようです。「寂しさを紛らわす」「元気を保つ」「五体健康でいる」ためには、大いに役立っているようです。

とは言いましても、病気を治癒するというわけではありません。老後を楽しく過ごしたいための一施策でしょうか。ペットの話と同じではありませんが、イエスさまの時代にも、人と動物間の愛情話があります。

今日の福音に登場してくる羊飼いと羊です。羊飼いにとっては毎日の生活と関係しています。羊飼いたちは羊と寝起きを共にし、迷い出てしまう時には、どんな犠牲を払っても捜し出すまであきらめません。羊飼いは真実の愛情をもって羊たちに接します。

その上、わたしたちにしてみますと羊の見分けがつきませんが、一匹一匹に名前まで付けて大切にしているそうです。羊飼いの活動の原点は愛情です。損得は問題にしません。自分のすべてをささげ、悔いることもありません。よい羊飼いの心の論理は愛の論理です。この関係は今でも同じなのではないでしょうか。

「わたしはよい牧者である」とイエスさまがおっしゃるとき、このよい羊飼いの姿をご自分に当てはめておられます。よい牧者としてのイエスさまは、わたしたち人間を限りなく大切にしてくださるということです。この心にわたしたちの救いがあり、今のわたしたちのすべてがあります。 善い牧者のたとえは、イエスさまの愛の確かさを示すものであり、それは不変です。