聖家族(B年)の説教=ルカ2.22~40

2014年12月28日

message-eyecatch2年末になりますと、その年の特筆したい出来事等のまとめのようなデータが紹介されます。それらを見て新たに納得したり、知らなかった現実があったりと、時々困惑することがあります。

その中で、目に留まった新聞報道がありました。「手回らぬ児相」という見出しでした。わたしの認識不足のせいか、「児相」とは何だ、ということです。「児童相談所」の省略形のようですね。

報道によりますと、「児童虐待」の相談件数が、昨年度は約7,000件増加で、全国計で73,765件の相談があり、その対応に苦慮し続けているとのことです。人員不足が原因で、「専門知識を持った人の拡充とともに、関係機関との連携を強化すべきとの指摘がなされている」と、結んでいます。(讀賣新聞・西部版2014年12月18日朝刊)

虐待の詳細については掲載されていませんが、児相の問題だけでなく、もっと他の、しかも、過去に遡ったところに問題の根っこがありはしないのかと思ってしまいます。

いずれにせよ、特に、子どもに関する問題は、子どもの「問題」を問題にするのではなく、こども自信を問題にしなくてはいけないのです。別言すれば、子どものまともな成長が、どこかで、何かのせいでゆがめられているのです。

子どもの育ちの原点は家庭です、家族です。我が家で、我が家のメンバーと育ち、大きくなっていきます。そして、外に飛び出す訓練を終えたのち、大海原に出かけていきます。そして、出かけた先々で初めての体験が待っています。だからこそ、「生きる」ことは楽しいし、成長することの喜びもあります。

今日の「聖家族」の祝日は、もしかして、失っているのであれば、本来の家族の姿を取り戻し、「育ちの原点」の温かさ、安心さ、繋がりを確認させてくれる日ではないでしょうか。律法に定められた清めの期間が過ぎて、まず初めにしたことは、神への奉献の祈りでした。両親はわが子を主に捧げるために神殿(エルサレム)に上りました。

聖家族の要にあったのは、「主・神」との繋がりでした。つまり、神との出会いがすべての始まりでした。「出会い」というとき、双方の思いと動きがあって出会います。イエスさまとの出会いも、双方が近づき、出会い、病と心の癒しがあって、弟子となっていくというパターンが普通です。

今日の福音で、赤ちゃんであるイエスさまのことを考えれば、通常のパターンではないです。つまり、イエスさまは主体的に二人に近づけないのです。そこで大事になるのが、二人の中にある強い動機付け・「神殿を離れない人」「夜も昼も神に仕える人」であることです。出会いの鍵、願い実現の鍵がここにあります。

お互いを認め、必要とし、助け合っていく歩みが、生かされている実感が大事でしょう。家族の中で、培っていきたいですね。「人」が中心です。