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2014年/A年説教=神のたしかさ

2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第33主日:神の意図を自分流に思い違い、正当化してはいないか?

当時の考え方からしますと、地中に金を埋めることは安全かつ最良の方法と考えられていました。だから、しもべは自信があったのです。しかし、彼には見落とした重要なものがありました。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第31主日:権威は、何を根拠に成り立っているのでしょうか?

人間社会の中の権威は、どこか傲慢的で人を見下し、打算的な気がします。しかし、どんな権威でも、正しいことをいっている限り、その権威を否定しないのがイエスさまです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第30主日:イスラエルでは、神を愛することがなぜ掟だったのか

日本的な言い方をしますと、神さまは、イスラエル人の「恩人」でした。いわゆる、神に「義理」があるのです。その限り、どんな方よりも、優先しなければならない存在者なのです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第27主日:欲望が自分の悔い改めを妨げていないか確認すること

表面をいくらきれいに飾っても、その「化けの皮」は剥がれていきます。あくまでも表面だからです。「嘘の皮」はそぎ落として、その奥を見つめましょう。謙虚であり続けるために、・・・。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第26主日:良心の働きに気付いた時が「考え直す時」です

今日の福音に登場する二人の兄弟は、二人とも「幻惑」と「考え直す」時を体験し、一人は「あるべき道」に戻りましたが、一人ははずれていきました。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第25主日:神の思いは、無条件です。「いいわけ」はありません。

神は限りなく「アナログ」派であるような気がします。細かい配慮、ぬくもり、誠実さをいつも大事にお示しになるからです。デジタル化へ進もうとしているわたしたちは、神の思いと人の思いの差異に悩み、痛感している日々ではないでしょうか。
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ラテラン教会の献堂:五感を使って祈ることで、信仰を養成しましょう

教皇の司教座聖堂であるラテラン教会の献堂の日に、世界中のカトリック教会はキリストの唯一の教会に結ばれて、清いいけにえを捧げ、豊かな救いの恵みが与えられるように、皆の思いを結集して祈るのです。
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十字架称賛:人類にとって、十字架が「神の力」でありますように!

十字架は、死と地獄に打ち勝たれた主キリストの旗じるしとなり、人びとに永遠の幸福と罪のゆるしをもたらすものとなったのです。全く新しい意味が加えられ、今ではキリスト教の称賛すべきシンボルとなっています。
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年間第23主日:救われるためには、罪は罪として本人が自覚すること

助けを求めている人が近くにいるなら、臆することなく振り向いて共鳴し、その人に何らプラスの変化が起きなかったとしても、勇気を失わずに希望を強くして祈り、手を差し伸べることをやめないことです、と今日のイエスさまは叫んでいます。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第22主日:イエスのペトロに対する叱咤は、愛における価値観の違い

天の父の思いを受け入れて「あなたはメシアです」と告白したペトロは祝福してもらいましたが、人の思いに捕らわれたペトロは「サタン」呼ばわりされます。似た体験は「人間の世界」でもあります。
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年間第8主日:「天の父は必要なことをご存知である」という謙虚さをもつ

どれだけ努力して、生きることへの工夫をしても、その頑張りに報いるだけの保証が、与えられるわけでもありません。こうした現実を受け入れることも「謙虚さ」です、と言われます。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第7主日:平和と秩序の基盤は権利だけでなく、天のおん父の心で

それは、悪いことだとわかっていても、手を染めてしまうわたしたちの現実をご存知の「父」だからこそ、伝わってくる内容であると思います。その極みが十字架の死に至るまでご自分を渡された独り子イエスさまです。
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年間第6主日:人の知恵ではなく「神の知恵」に気づくことができれば・・

「法律」は人のためにあるのであって、もっとつき進めれば、人のいのちを守るため、人としてその人らしく生きるためにあるということができます。本来の姿でしょう。法によって人間の品位が落ちるようなことはあり得ないことです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第5主日:大事なことは塩気を保ち、光を放ち続けることです

自力によってではなく、受洗によってもたらされたキリストの光に照らされ、導かれている事に気づき、受け止めることです。「わたし」の活動に味わいをつけてくださるのはイエスさまだからです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第3主日:イエスさまの介入により「平凡」から「非凡」になっていく

イエスさまの呼びかけにこたえる弟子たちの姿が描かれています。弟子たちは「通常」、ごく「普通」に生活をしていたのです。漁師として網の手入れをしていました。彼らにとっては普段着の姿です。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第2主日:「わたし」の生きる原理はどこに根ざしているのでしょうか

イエスさまの生きる基になっているのは、ヨハネが指摘した「世の罪を取り除く神の小羊」としての役割なのです。しかも、その「原理」は愛情に満ち溢れています。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第19主日:何度躓いても、新たな一歩を踏み出す努力が大事

ペトロのことば、「主よ、助けてください」は、葛藤しながらも、不安が、恐れが消えてしまっていないペトロの姿を示しています。それでも、神の方に目を向けようとする努力の繰り返しが大事です。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第20主日:平和に対しては「ないものねだり」はしないのでしょうか

育ちの環境の違い、民族の違い等、「違い」が、平和実現の邪魔にはなりえないということでしょうか。むしろ「違い」は豊かさへの出発点のような気がしますが、いかがでしょうか。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第18主日:「自分の力」は他者の力、支援があればこそ威力を発する

イエスさまのみが存在の根拠。その人の欲のおもむくままに行動する時、「独裁者」の存在しか見えてきません。奉仕者の姿ではなくなります。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第16主日:忍耐強く待ち、ともに育ち、すべての判断は神に任せる

わたしたちの共同体も、よい人も、いい加減な人もともに育ち、そして、少しずつでも神が望まれるファミリー共同体を、毒麦を抱え込みながら、成長して生きましょう。