年間第5主日(A年)の説教=マタイ5.13~16

2014年2月9日

わたしたちは、自分を人に見せ、示すために、また、相手の方を知り、受け止めるために、その手段の一つとして「言語」を用います。一つのことを言うのに、さまざまな表現があります。「さまざまな表現」が持つ響きは、その環境によって、語調によって、さらには、語る人、聞く人の心情によっても、微妙な違いが生じます。ことば、表現に味わいをつけてくれるのが、声音であったり、顔の表情、目の輝き具合など、五感にかかわる器官でしょうか。

時々人にいわれることがあります。「普通の人は考えないことを考えるんですね」と。それだけ変わり者ということでしょうか。でも、「くだらない事」を考えていますと、何かの発見をすることがあるんです。これがまた楽しいですね。そしてメモするんです。これは何の訓練になるかといえば、「新たな視点」を見つけるのに、大いに力となります。

イエスさまのメッセージを、それこそ「無駄な」と言われるかもしれませんが、今までとは違った視点からの受け止めができれば、新鮮な、ぐっと来る内容に気づかされるかもしれません。

今日の福音書は、有名な「地の塩、世の光」のお話です。わたしとしては、今まで見過ごしていたことに、今回気づかされました。山上の説教、「八つの幸い」のあとに続く今日の個所は、ゆっくりと踏みとどまって味わってみますと、自分を見直すようにとのメッセージが含まれているようです。

イエスさまは「あなたがたは地の塩である。・・あなたがたは世の光である」と言われます。しかし、どう甘く見ても、それでも欠点だらけの自分が、「塩」「光」になれるわけなどありません。今までは、どちらかといえばこうした思いが、この個所を読むたびに出てきたものです。

しかし、何度も繰り返し読んでいるうちに、「地の塩である、世の光である」とおっしゃっているのであって、「地の塩になりなさい、光になりなさい」とはおっしゃっていないのです。わたしたちには「地の塩、世の光」となる使命と恵みがもたらされています。

大事なのは、塩気を保ち、光を放ち続けることでいいのです。それも自力によってではなく、受洗によってもたらされたキリストの光に照らされ、導かれている事に気づき、受け止めることです。「わたし」の活動に味わいをつけてくださるのはイエスさまだからです。

受けたものを外に向けて反射させることです。「わたし」を通してイエスさまを示していくのです。これを「普段着」を着て、推し進めたいです。年間が始まりました。