年間第19主日(A年)の説教=マタイ14.22~33

2014年8月10日

message-eycatch世の中が便利さを追求し、物質的な豊かさだけを追い求めていく先には、なにが待っているのでしょうか。そして、仮に、それらが得られないとわかると、わたしたちはどのような反応を示すのでしょう。

現代は、精神的に追い詰められる人が多くなったと聞きます。その昔もあったのでしょうが、今は、それらが顕著になってきたといわれます。そして、その追い詰められた結果は、確実に、その人の心と体に症状として出てきます。平穏無事に生活できている通常は、特に何も感じなくても、何かがきっかけで表に出てくることはあります。それが何なのかは、人によって異なるでしょう。

今日の福音は、こうした状況のペトロの姿を紹介しています。順風満帆な状態にある時は、心地よいこと、ものも、苦境に立たされると一変します。神の恵みを感じ、感謝の心が豊かに成長しているように見えても、つまり、神の力強さを体験することは、必ずしも、自分のもろさ、弱さを克服することではないということです。

ペトロもその他の弟子たちも、日頃は、イエスさまの話を聞き、奇跡を目の当たりにし、イエスさまの一挙手一投足をしっかりと見て、心に刻んできたはずです。そして、イエスさまへの信頼と確信を抱いてきたでしょう。

とはいっても、迷いやすさ、傷つきやすさ、簡単に落ち込んでしまうことは、人が人である限り、全くなくなってしまうものではないということです。あっちに振られ、こっちに振られながらの現実の中で、神を見つめ、神の力強さに己を託していく心が、行為が信仰を増し、強めていくことにつながる、とイエスさまはいわれます。日々のドロドロしたありのままの生き方の中で、葛藤しながら、徐々に成長していくものであることを示されます。

ペトロのことば、「主よ、助けてください」は、葛藤しながらも、不安が、恐れが消えてしまっていないペトロの姿を示しています。それでも、神の方に目を向けようとする努力の繰り返しが大事です。「水の上を歩いて来い、とわたくしに命じてください」というペトロは、倒れても躓いても繰り返し神に向かう努力の繰り返しを言い表しているようです。ペトロは一歩を踏み出すのです。イエスさまの近づきに対して、ペトロは反応します。踏み出そうとするこの努力が大事です。

特別に12使徒の長に選ばれたペトロでさえ、このようであれば、わたしたちが何度躓いても不思議ではありません。新たな勇気をいただいて「一歩踏み出し」ましょう。