年間第16主日(A年)の説教=マタイ13.24~43

2014年7月20日

message-eycatchわたしの知り合いに、「韓流ドラマ」大好き人間がいます。毎日、時間が合えば、リラクゼーションのひとときを楽しむんだといっています。どちらかといえば、ドラマの時間帯に合わせて、一日の行動を決めている感じ。どんなドラマにしましても、現実から脱出して、憩いと安らぎのひとときを持たせてくれるのは間違いなさそうです。

そうです。集中してドラマの流れにわが身を置いている間は、幸せな、平和な自分を感じます。幸せ感いっぱいです。ドラマの筋書きが悲しい物語であっても、充実した自分を感じることができるのです。出演者みなが、同じ方向を向いているからでしょう。一人ひとりは違っていても、共鳴できる心と感性を持ち合わせている限り、それを合わせれば雄大なドラマが出来上がります。「平和な地球」という物語です。

わたしたちは、誰を取り上げても、「平和」と「安心」を求めない人はいないと思います。今、戦争(?)の真っ只中にあるイスラエルの紛争は、ニュースに出てくる、特に子どもたち、お年寄りの姿を見ますと、やはりあってはいけない出来事であると、みなが納得することではないでしょうか。

わたしたち地球人は、様々な人が同居しています。共同体を形づくっているわけなので、当然指導的立場に立つ人も出現します。そこで、意見の対立があったり、外見だけで人判断したりする軽率な行動に出る人だっています。日常体験からわかるように、違う生活習慣の繰り返しからくる人同士のいがみ合い、少しの違いが、大きな溝を形成してしまいます。

こうした現実の姿があることを否定できません。今日の「毒麦事件」の福音は、その現実を受けとめたうえで、どのように対応するかを告げます。自信のある人は、どうしても自分の枠の中で、世界で、人をはかり、行動してしまいます。「行って、抜き集めておきましょうか」。自分のはかりで量ること自体が、互いの対立を促すしるしとなる「うぬぼれ」であります。

神が望まれる共同体のあり方は、「収穫の時」が来るまで、忍耐強く待ち、ともに育ち、その中ですべての判断は神に任せることです。人間の判断はいつもあやしいからです。それは神にゆだねられた権利です。

わたしたちの共同体も、よい人も、いい加減な人もともに育ち、そして、少しずつでも神が望まれるファミリー共同体を、毒麦を抱え込みながら、成長して生きましょう。遠大な「平和な地球」物語の創作開始。