年間第27主日(C年)説教=ルカ17.5~10

2013年10月6日

寄り添うイエスわたし自身を含めまして、人はそれぞれです。とはいっても、他人の力、支援なしには生きていけないものです。そして、他者とのお付き合いの中で、「自分」がつくられていきます。幼児期にそのお付き合いは始まります。

特にその始まりは親子の関係からでしょう。それも無償の愛の関係から始まります。親は自ずと子に向かい、子は親にその身を任せます。ほのぼのとし た温かい関係から始まったのに、いつしかぎくしゃくとなっていくことがあります。子が成長していくからです。嬉しいことなのに、親はおもしろくなくなりま す。成長していくにつれて、子どもが振り向いてくれなくなるからでしょうか。したがって、「親孝行したくなる子育て」は大事になります。

ここに「真の子育て」から、一人間の「人となり」が育ってくるのではないでしょうか。その上に、信仰者としての上乗せができていきます。使徒たち が「わたしどもの信仰を増してください」と願ったときに、成長してきたとはいえ、人としての何かが、自分たちに不足していることに気づいていたことをにお わせます。

誰が一番偉いのかと野心に浸ってしまう弟子たち、地上のしあわせを求めてしまう自分たちを十分に自覚していたのではないでしょうか。 それは「真の信仰」に達してはいないということです。やはり「神の愛が先にある」ことに気付き、それへの返礼が他人を愛すること(隣人愛)である という境地に立てたとき、完璧ではないにしても「真の信仰」に近づけます。

しかし、神からの愛に見合うだけの愛を返すことはできないといえます。それほどに神からの愛は無償で温かくて深いのです。だからわたしたちは「わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです」としか言 いようがないのです。

わたしたちは一人ひとりの実生活の中で、このようなことを感じるでしょうか。その気になれば真の信仰者になれます、とイエスさまは今日の福音の中 でおっしゃっておられます。

つまり、今日、おかれている場で、ごく普通に思い、できることを普通に果たしていくことの中に、真の信仰への土壌があると言わ れます。いきり立つことなく、自然体で、普段着のままでこれからも生きていきましょう。