年間第2主日(C年)の説教=ヨハネ2.1~11

2013年1月20日  

寄り添うイエス「あの方ですと、どこに出しても恥ずかしいことはありません」という言葉が聞こえてきました。非の打ちどころのない立派な方です、ということでしょうか。常識があって、品位、風格が備わっていることに越したことはありませんが、大事なことは、ともに喜びあえる仲間、安心できる平和な環境を構築できる仲間になっていくことではないでしょうか。自分の存在が、互いが生きることに役にたっている存在であり続けることでしょう。

その裏付けになっているのが、目には見えませんが、「神に賭ける」ことにあるといえます。決して裏切られることはないからです。日常生活の中で、この実感を体験したいものです。強く望み続ければかなえられます。

いつの時代も、日常ありそうな出来事の話が今日の福音です。結婚式は喜びの宴です。そして、皆の人が幸せを感じる時でもあります。嬉しいことは多くの人と分かち合いたいものです。その表現にはいろいろあるでしょうが、なんといいましても喜びの宴に酒は欠かせません。それがなくなる事態に至ったということは、たいへんなことです。

そんな時に、マリアさまが登場なさいます。イエスさまに「ぶどう酒がありません」と一言おっしゃいます。主催者の方に恥をかかせたくないというマリアさまの配慮があったのでしょうか。イエスさまがおっしゃるように、「わたしとどんなかかわりがあるのです」というほどに、あくまでも主催者の側の問題です。なのに、なぜ、マリアさまは「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と召し使いたちに告げたのでしょう。

ここに一つのメッセージがあります。わたしたちが、自分自身の成長を自ら妨げている行動に対する気づきを促しているように思います。その実、神に祈り、願う自分がふさわしいかどうか、願う内容がいいかどうかは、関係なくなんでもイエスさまの前に出してみなさい、叫んでみなさい、ということでしょう。

何も関係のないマリアさまがしゃしゃり出て急場を救ってくださること、これが神のなさり方なんですよ、とわたしたちにおっしゃっています。こんなことをお願いすれば「バチが当たる」なんて考えませんか。神は救ってくださるお方です。ゆめ忘れてはいけない大事なことです。

つまり、祈り、願いの内容は神にゆだねたらいいのです。その時、わたしたちは「一生懸命である」ことです。必死に祈り願ったことがあったでしょうか!?