年間第3主日(C年)の説教=ルカ1.1~4、4.14~21

2013年1月27日   

寄り添うイエス「悪いこととつまらないことと思われるものの中から、大切なものを導き出す神の全能を、わたしは戦争を通して知りました。そこに神さまの計らいを感じます」(カトリック新聞2013年1月27日)。鹿児島教区の大野和夫神父さまの「信仰告白」です。

過去においてわたしたちが体験したこと、何かについて得た理解、知識は、繰り返し振り返ることによって、確信に変わっていきます。その時が「わたし」の変化であり、成長の証といえるような気がします。先の大野神父さまは、奄美大島の教会を彼の体験した世界で振り返っていたのではないでしょうか。温厚な大野神父さまの姿が誕生しているような気がします。

イエスさまのみことばも同じでしょう。つまり、大昔に語られたことば、教えとはいえ、繰返し読みなおし、黙想する度に、イエスさまとそのたびに新たに出会うことができます。そして、その度に確信に満ちた思いと未来が、少しずつ開かれていきます。

「この聖書のことばは、今日、あなたがたが耳にした時実現した」のです。預言者イザヤが言われたことば、それが「今日」わたしの中で「今のもの」になっていくのです。一朝一夕にそうならないので、「繰り返し」が必要になってきます。再三再四繰り返すことによって、わたしの信仰をはぐくむことができるようになります。この作業をしていくのが「信仰年」のもつ意味ではないでしょうか。今日の福音はこのことをわたしたちに知らせているような気がします。

したがって、信仰は、特別に大きな行事を企画して実行するというより、もっと日常的なことを果たしていく中ではぐくまれていくものであるということでしょうか。大きな行事を実施しますと、ある種の達成感はあります。それが、その後の生き方の中でどんな作用をするのか、あるいは、これまでどうだったのかを振り返れば単に「終わってしまった」というレベルで過ごしているような気がします。

わたしたちが完全でなければないほどに、「繰り返し」が大切です。地味な、目立たない小さなことに関心を高めてみましょう。そこにアッと驚く何かが潜んでいるかもしれません。