キリストの聖体(C年)の説教=ルカ9.11b~17

2013年6月2日 

寄り添うイエス先進国がかかえる問題点なのでしょうか。さびしい、やるせない気持ちをかかえている子どもたちがこんなにまでたくさんいるとは、・・・。わたしたちが目指している人としての育ちの要は何なのでしょうか。親の育児放棄により受けた子どもの痛手は、その成長に重大な影響を及ぼすリスクが高い、と児童精神科医の杉山登志郎さんはおっしゃいます。

それというのも、人格が変わったり、幻覚症状が出たりする解離性障害、感情を抑えられなくなったり人間関係を築けなくなったりする反応性愛着障害を発症したりするといいます。こうした症状が改善することは、親子の関係を築けたときにありうるといいます。子ども一人では背負いきれないのです。共に背負ってあげる人が横にいることは大きな癒やしの第一歩でしょう。

誰でも人はその内側に醜さを持ち合わせています。良さよりも表に出たがるのです。それゆえに、本来のその人の「らしさ」が出てこないのです。今のわたしたちの日常は、まさにこうした出来事の連続のような気がします。したがって、自分よりも大きい、豊かな包容力のある存在者が必要です。それが「神」です。神の働きの実感を、存在感を日常の中で感じられるような生き方を願い、祈らなければいけないでしょう。自分でどうにかしようとするとき、むしろ遠のいていきます。

今の日本には神が、信仰が生活の隅に追いやられているのではないでしょうか。生き方の真ん中におきたいです。そのために今日の「聖体の祝日」があります。人の醜さを一身に受け、人の罪と悪がその極みに達した大波をしっかりと受け止め、そうした人のゆるしを願いつつ、それでも、人と共にいてあげたいという愛の表れが「聖体」なのです。神は人に悪いようにはなさいません。それを信頼し、委託してみるこころが育つところに「信仰」はしっかりと根付いていくのでしょう。

人の癒やしも大事です。でもそれを上回る神の癒やしはもっと必要なのではないでしょうか。そうです。神に「甘える」のです。その人の前にはきれいな道が整えられていくことでしょう。