年間第13主日(C年)の説教=ルカ9.51~62

2013年6月30日

寄り添うイエスかつて、先輩司祭に「日本の教会のサロン化」ということについて語られたことがあります。

現代教会の表面に見える話題といえば、バザーをどうしましょうか、教会の資金繰りをどうしましょうか、などという話題になりますと、「サロン的」といわれてもしょうがないのかなと思いますが、見えないところでは、社会の現実に深く入り込み、信仰者としてどう生きるのか、悩みぬいている人もたくさんいます。

信仰者としてこの世で生きることは、一見「負け犬」的な感じを抱く人もいるかもしれませんが、ここに神の本当の強さと優しさがあるといえます。何かといえば「信仰」「神さま」といって逃げ道にしている、といわれた時代がありました。何といわれようと、表面上、「力の信奉者」を標榜するつもりはありませんが、その実「強い」のです。

サマリアの人びとに、天からの火を降らして、滅ぼしましょうかと叫んだ弟子たちは、まさに「力の信奉者」でした。イエスさまは彼らのそのような価値観をお咎めになります。そして、常識からみれば愚かで、敗北としかいいようのない十字架上の死が、イエスさまの目指す道であるという信念を弟子たちに伝えます。だからエルサレムへ向かう「決意」をされたのでした。自ら顔をひきしめられたのです。神によって定められた死の時をご存知だったのです。

わたしたちは自分の最後の時を知りません。逆に知っていたらどのような生き方ができるのだろうかと心配になりそうです。恐れを感じつつ生きるということがどんなに辛いことなのか、その体験はできませんが、イエスさまのことばに、ご自分の使命への厳粛さとやり遂げようとしているイエスさまの強い思いを感じます。「手をすきにつけてから、後ろを振り返る者は、神の国にふさわしくない」と。

ご自分がそうであるように、弟子たちにも同じような「覚悟」を要求なさいます。これが本当の「キリスト者」の証であるといわれます。少しでも近づけるように覚悟の日々をすごしたいものです。