年間第21主日(C年)の説教=ルカ13.22~30

2013年8月25日

寄り添うイエス観測史上初めてとなる気温41℃が何日続いたのやら、日本各地で異常、異変が起きています。これによって、人の心身にも大きな影響が出ます。気持ちよくなる人、気分が悪くなる人。普通だと、気分が悪くなる人が多いと思いますが、気温が高ければ高いほど元気が出る人も稀にいるんですね。

いずれにせよ、自分の周りで起きる他人の動き、自然界の変化等、それによって「わたし」の成長も変わってきます。人間としてのみでなく、信仰者としても変化してきます。したがって、「信仰」は成長するものなのです。

毎年8月になりますと、戦争で亡くなった方々を思い起こし、お祈りします。同時に問題になるのが、政治家・内閣閣僚の靖国参拝です。何も8月15日だけではなく、日頃からお祈りのために参拝すればいいのに、と思います。信仰の表現を政治的土俵にのせて云々するのもどうかと思いますが、・・・。それでも信仰は成長するのです。

信仰は成長し、日常の出来事の辛さ、困難さを乗り越えていく中で鍛錬されていきます。そしてさらに信仰は成長していきます。「狭い戸口から入るように努めなさい」とは、鍛錬することの中で、心と精神を尽くしてみなさいというイエスさまからの呼びかけでしょう。洗礼を受けたからといって、世の中の困難やトラブルから解放されたわけではないのです。これが、日々の暮らしの中での信仰生活の挑戦です。

なぜかといえば、人は皆、未熟さをかかえ、罪深さ、欠点、醜さを身にまとっている自分を感じるからです。だから挑戦し、その中から得た成長したものを分かち合うことによって、身の回りのものをよりよく利用し、生かしていくことができます。それによって、「狭い戸口」から入ることができるように鍛錬しているのです。イエスさまの呼びかけに反応するのも普段の生活の中でしかありえないのです。

自分の未熟さに気付きながらも、同時に、まわりの人たちも自分と同じような境遇にあることに思いをはせながら、援助の手をのばしてあげることでしょう。「小さな人にしてくれたことは、・・・」(マタイ25章32節以下)というイエスさまのみことばが、日常生活の中で実践されていきます。

イエスさまとつながっている限り、その業は具体的であり、大きな助けとなっていきます。この確信を深めたいですね。「狭い戸口」は特別困難な入り口ではなくなるのでは、・・・。