年間第22主日(C年)の説教=ルカ14.1、7~14

2013年9月1日

寄り添うイエス最近よく聞く話です。「頭が痛くなり、食欲もなくなり、十分な睡眠がとれない」と。このような相談を受けたとき、もちろん、わたしはカウンセラーではありませんが、申し上げることです。

「あなたが生かされていることに気付き、心と思いをそれに向けてみたらどうですか」と。

これはわたしの実体験からの話です。内容は詳しくはお話しできませんが、不思議と安心感と希望の思いがわいてくるのです。自分でどうにかしようとすればするだけ、その泥沼にはまり込んでしまいます。

上記のような状態に陥るまでも、親からの無償の愛とか、恋人からのやさしさ、友だちからの助け等、たくさんの方に支えられて生きてきたのです。自主的な選択もあったでしょうが、そうできるようになったのもたくさんの方の力添えの賜物です。こうした自分に気付くようになりますと、なぜか、自分の未熟さ、限界を自ずと感じるようになりませんか。だから、生かされている自分に気付くことは、より自分「らしさ」に戻ることなのです。

今日の福音はこのことをわたしたちに伝えようとしているようです。どこの国でも、どこの世界でも、「お返し」を期待して宴会に招待する人はいないでしょう。ともに祝い、喜びあうためではないでしょうか。であれば、心からそうできる方々を招きなさい、とイエスさまは言われます。

「貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人」を招きなさい、と。このような方々は、仮にお返しをしようと考えたとしても、現実的に不可能な方々です。招きに応えて参加したとすれば、このような方々はまさに嬉しさを表に素直に出して喜んでくださいます。どこまでも謙虚なのです。

外見上の見栄ではなく、「自分」がよってもって立っている根拠(神の無償の愛)に気付けばそれだけ、「わたしらしく」それだけ「謙虚に」なっていく自分が見えてきます。わたしたちは生きている限り、誰でも、自ら生きながらも、その瞬間しゅんかんをだれかに生かされ続けていくのです。

結局は、人としての謙虚さが、平和と安らぎと自分をもたらしてくれます。