年間第29主日(C年)の説教=ルカ18.1~8

2013年10月20日

寄り添うイエスわたしたちの日常は、実にたくさんの人、事、その他の環境に囲まれて成り立っています。が、いつもその事を意識しているわけではありません。楽し い時にはそれに没頭し、苦しいときには這い上がろうとしてもがきます。しかし、わたしたちの人生の途上で、記憶に残っていることといえば、その大部分が辛 いことのほうが割合の多くを占めているような気がします。

とはいえ、信仰は何の効力もないのでしょうか。こう考えるのも浅はかですね。それでも、人は逆境に立たされると、落ち着きをなくし、我を見失うこともあり得ます。したがって、その状態に留まることができないのです。
 
わたしたちは、普通、落ち込んだりしますと、一般的に「後ろ向き」になってしまいます。しかし、だからといって落ち込んだままかというと、そうで もないんですね。何か違和感がただよいながらも、現実を見なおしてみようというエネルギーももちあわせています。自分の中になければ、力ある人に頼ってい くのです。
 
こうした状況にあったのが、今日の福音書に出てくる未亡人ではないかと思います。自分の望みを実現するために、大変な努力をしないとできない生活が普通だったようです。そこで、問題を解決してくれる裁判官に頼みこみました。 つまり、未亡人は自分の置かれた現実を甘受していたということです。強い確信、信念の背後にあったのが、確かな神への信仰でした。裁判官の判断はどうであれ、未亡人には「吉」と出ました。
 
ある神父様の文章を拝読しましてなるほどと思いました。わたしたちの信仰を強くもちたいのなら、「絶望を避けるな」ということです。目の前に展開されていく現実に目をつぶることなく、見続けて深い絶望に留まり続けることです、と。イエスさまを失ったあの婦人たちがそうだったと言われます。特に、マグダラのマリアは復活されたイエスさまと出会ったのです。その背景にあったのが、強靭な彼女の信仰でした。イエスさまと出会うことによって、それは確かなものとされたのです。
 
今日の未亡人も、絶望の中にありながらも待ち続け、希望を失くさなかったのでした。願わくは、「留まり続けること」を味わってみましょう。