年間第33主日(C年)の説教=ルカ21.5~19

2013年11月17日

寄り添うイエス一つの事件が引き金になって、次から次へと不祥事が明らかにされていく中で、わたしたちはどれほど「騙されていた」のかと、あきれかえってしまいます。ここ毎日のように報道されている「メニューの偽装表示」です。

一連の新聞報道を読んでみますと、この一、二年の問題ではないようです。ホテル関係、百貨店、食堂、高速道のサービスエリア等、ありとあらゆる場所、施設でなされていたようです。何のためでしょうか。わたしたち客側とて、本物かどうかの判断がつきませんものね。提供者側を信頼して料金を支払ってきたのに、残念です。でも、知らないほうがよかったのかな、・・・?!複雑です。

こうした社会問題、さらには戦争と反乱、疫病、民族間の対立と分裂等、人類の生の歴史の真っ只中で、わたしたちは日々を過ごしています。当然のことながら、このような出来事の影響を心身に受けていきます。否、この中でしか生きていけないのです。したがって、歴史を振り返る時、時代背景は、その理解のために重要な要素を占めます。

聖書を受けとめる時も同じようなことがいえます。中近東はイエスさまの時代から東西文化の交流地となっていました。文化のみならず、交易の要路にもなっていました。また、大国・ローマが小国を支配し、その勢力を伸ばすためには、パレスティナを侵略することから始まりました。そうでないと、その先に進めなかったのでした。

このような侵略と略奪、建設と破壊の繰り返しが起きている中近東で、イエスさまは今日の言葉を語られます。

信仰者だから苦しみも悲しみもない、無病息災は保証されないということでしょう。だって、イエスさまご自身が、最後までこの世の矛盾と裏切りにさらされたのでした。歴史の現実から逃れることは神のみ旨ではなかったのです。無病息災を願い、祈ることは、人として妥当なことです。願わくはそうあってほしいです。そうならなかったからといって、落胆してはいけません、と言われます。「どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしはあなたがたに授けるからである」と励まされます。

この励みが、支えが「わたし」の日常で感じられますように。イエスさまご自身が体験者であるがゆえに、わたしたちの気持ちに、境遇に一番近い理解者です。どのような状況にあっても、わたしたち一人ひとりが自ら、命の意義を感じ取ることができたとき、否、感じ取らせてもらえたとき、真の仕合わせ、神との出会いが実現したのでしょう。でも、それがいつのことやら、・・・。