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年間第31主日:イエスさまを求めている人のバリアになっていませんか?

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年間第31主日(C年)の説教=ルカ19.1~10

2013年11月3日

寄り添うイエス「前向きな生き方指南」という大きな見出しが目に入りました。「86歳のシスターが書いた生き方指南書がベストセラーになっている。渡辺和子・ノートルダム清心学園理事長の『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)だ。昨年の発売以来、老若男女の心を捉え、110万部を超えた」との解説文がついています。

その中で、「苦労し旅日がわたしにとっての財産です」とおっしゃっています。「苦労する」といっても、人によってその中身と重みは違ってきます。背負っている苦労など、他人に分かる術もありません。本人が暴露しない限り。

「自信を喪失し、修道院を出ようかとまで思いつめたわたしに、一人の宣教師が一つの短い英語の詩を渡してくれました。その詩の冒頭の一行、それが『置かれたところで咲きなさい』という言葉だったのです」。誰に置かれたのかといいますと、主語は「神」となっています。

神が植えられたその場所で花を咲かせなさいということでしょうか。別の言い方をしますと、人はどんなところにいても花を咲かせ、幸せを体験できるんですよ、ということでしょう。不平不満ばかりを言っていると、自分は環境の奴隷でしかない、と新たな段階への心の変化を感じます。日頃からのシスターの心の保ち方がそうさせていくのだと思いました。

なんでもないかもしれない些細な「保ち、あり方」が人を変えていくのだということをあらためて感じ、日頃の小さな積み重ねは無視できませんね。

こうした生き方をひそかに目指し、生きてきた人が今日の福音書に出てくるザアカイで、はないかと感じます。ザアカイにとって大事にしてきたことは「今」なのです。「今」イエスさまに会えるかもしれない「その時」がやってきたのです。噂ではたくさんの事を聞いていたその人に会えるのです。

と言うより、せめて外見でもいい、「見よう」としたのです。それでも、背が低かったので大衆の間からはイエスさまを見ることができませんでした。それで木によじ登ります。この行為は、彼の身分からしますと、皆からは奇異に感じられたのではないでしょうか。でも、勇気を出して、イエスさまを「見る」ために、思い切ったのでした。そして、その思いにイエスさまは応えてくれます。

「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」この瞬間にザアカイの新しい道のりが始まりました。いちじく桑の木に登ることによって、遮られていた人垣を超えて、イエスさまと真実の出会いが実現しました。

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こうしたザアカイのような人がわたしたちの周りにもいるのではないか。その人たちのために、ひょっとしてわたしたちが「バリア」になっていないか自問自答してみるのもいいかもしれませんね。

ザアカイにとって「回心の道のり」は始まったばかりです。わたしたちも、その道のりを歩き始めましょう。

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