年間第15主日(B年)の説教=マルコ6.7~13

2012年7月15日

主との出会い

何事につけても、「満足度」というものは、あくまでも相対的であり、また、個人的でもあります。この地球上に70億あまりの人間が住んでいるということは、それだけの満足度があるということでもあります。その違いがあるからこそ、新たな発明、発見が起こるのです。その満足度の根底にあるのは、意識されていなくても、お互い間の「委託」です。何の疑義もはさまず、安心しきっている人間関係があります。

願わくはそうあってほしいと心から願っております。しかし、現実は満足度の違いが、発展のためにではなく、争いと崩壊のために利用されているようで、実にもったいない話です。お互いが安心してそばにおられるようになってこそ、本来の自分に気づかされていきます。そして、相手のこともわかるというものです。こうして仲間づくりが実現していきます。

今日の福音でイエスさまが弟子たちを呼び寄せられたとあります。ご自分のそばにくるように招かれたのです。神の慈しみとその生きるさまを伝え、見せるためであったのです。そして、その後、二人ずつ遣わしたのです。何のために?イエスさまを多くの人に伝えるためです。見たままを、感じたままをとことん伝えるように。

わたしたちにとって、ありのままを伝えることは至難の業であるともいえます。どうしても「私情」が入ってくるからです。客観的になるために、「二人」は心強いものです。まさに「証人」となります。二人を組にして派遣した裏には、イエスさまのはっきりとした意図がありました。それは、弟子たちをとおしてご自分の神秘を公に人々に伝えるためであったのです。それが弟子たちの役割であり任務でした。

今に生きるわたしたちにとっても同じことが言えます。決して楽なことではありません。そこで大事なことは、窮地に立たされたときには、「神がどうにかしてくださる」という確信があるかどうかです。「満足度」をそこに感じるかどうかです。日頃からの訓練が必要です。そうです。信仰も鍛錬されなければいけないのです。そして、たくましく成長していきます。「信仰は生きている」所以がここにあります。わたしはまだまだですが、・・・。でも、まだ遅くはないでしょう。