年間第28主日(A年)の説教=マタイ22.1~14

2011年10月9日

神のみことば

あの人は今日は調子がいいね、とか、この人は調子が悪いね、とか、その日によって違った印象を同じ人から受けるのはごく普通です。そういうわたし自身も、他の人に同じような印象をあたえていることになります。それは、その日に、誰と付き合い、誰と何を話したかに負うところが大きいとはお思いになりませんか。これがすべてではないでしょうが、かなりのウェイトを占めているような気がします。

それによって、自分の話す内容も変化します。今まで、あまり聞いたこともないようなことを言っているよ、ということを言われたことはないでしょうか。何かが影響しているのです。

今日のイエスさまのたとえ話にはこのようなことを感じます。何よりも、婚姻への招待状の断り方が異常です。招くためにつかわされた使いたちを無視するだけでなく、殺してしまいます。やり方こそ違え、現代でも似たような現象はあるのではないでしょうか。

自分の商売にとらわれ、弱肉強食の世界で、倒れるわけにはいきません。一度倒れると誰も振り向いてはくれません。人の冷たさ、残酷さが残るだけです。生活にのめりこんでいる人には、もうけのため、自分の影響力を少しでも広げるためには、どんなあくどいことに手を汚すこともいとわなくなります。それを邪魔するものを押しつぶしてしまいます。

イエスさまにとって、律法学者、長老たち、祭司たちとの対立がどうしようもないところまで達していたのではないかと想像できます。その関係からくる影響で、使いのしもべを殺す人々の姿や、報復する王の姿が出てきたのではないでしょうか。イエスさまを取り巻く人々の存在は、イエスさまにも少なからず刺激をあたえてしまうのです。しかし、地上の現実にのみ心を奪われている人々には、イエスさまのことば、招きが入り込む余地はありません。

そこで、イエスさまはもっと広くユダヤをこえて他の世界に、メッセージの対象を広げていきます。町の大通りにまで招きの手を広げるのです。いきなり呼ばれた人ゆえに準備ができているわけはないのですが、「礼服」をつけていない人が登場します。神の呼びかけに一応こたえようとしたのですが、形だけは受け入れたものの、それを生きようとする心がまえが足りなかったのです。

わたしたちもいい人とのかかわりを通して、大きく成長して生きましょう。