『受難の主日』の聖書と説教はこちら

復活の主日:イエスの十字架と復活の出来事を「わたしの体験」にしたい

この記事は約5分で読めます。
2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

【神のふところは限りなく大きい】

復活の主日(A年)の説教=ヨハネ20・1~9

2017年4月16日

春は別れと出会いがあり、寂しさと喜びが錯綜するとき

毎年のことながら、春は別れがあり、そして新たな出会いがあります。まさに、寂しさと喜びが錯綜する時です。そこで、わが身を振り返ってみますと、特に若いころは、やる気満々の方が強く、喜びの方が勝っていたのではないかと思っていますが、・・。

この春、新たに就職された新入社員へのインタビュー報道によりますと、概して、男性は「不安」が多く、女性は「やる気満々」のような話でした。就職した数人の方の話ですから全てを語っているとは思いませんが、女性の方が意気揚々に新たな一歩を踏み出したように感じられますがいかがでしょか。

人の門出を自然界も華やかに祝福しているが・・・

人間の新たな門出を祝し、後押ししているかのように、自然界も華やかに、色とりどりの花が精一杯の「笑顔」で咲きほこっています。しかし、こうした環境の中でも、いつもうまく事が運ぶというわけではなく、そうはいかない事象が起きてしまいます。

「待機児童」問題は、まだ解決しそうにない

「保育所『落選』五万三千人」という大きな見出しで、新聞のトップニュースになっていました(讀賣新聞大阪本社、2017年4月5日朝刊)。東京23区並びに政令都市にて認可保育所施設への入所を決める一次選考を受けての結果です。他の年度にも、同じような問題に突き当たっている親御さんはいるようです。

東京23区内に住む「落選」したある高校教員の女性が、区当局に落選理由を尋ねると、「勤務状況などによって決まる入所選考の基準点が、足りなかった」という説明です。ご主人ともどもフルタイムで働いてきたその人にしてみますと、「いったいどんな親が、保育所を使えるの」という疑問に陥ってしまいます。

「待機児童ゼロ」を目指して政府は長年その取り組みに従事してきましたが、保育所が増えると希望者、利用者も増え、親たちは「保活」に翻弄され続けてきました。今でも同じです。

保育所不足は、共働き世帯の増加も一因

その大きな原因の一つは、女性の働く人が増加してきたことがあると指摘されています。いわゆる共働き世帯です。保育所の数も増えているのは事実ですが、それにつれて、結婚、出産で仕事を辞めていた人も、子どもを預けて、再び働き始めたことで利用者を新たに掘り起こすことにつながっているといいます。これからも共働きは増えることはあっても、減ることはないのではないかと言われています。かつては、専業主婦世帯が多く、子どもを家庭で育てる人が多かったのですが、1997年以降は、共働き世帯が増加していったのです。

子どもが安心できる環境こそが大切

「安心の子育て」という時、誰が「安心する」のでしょうか。子育てをするのは親であり、大人であるので「親が安心する子育て」であるような印象を受けてしまいます。確かに親が安心して養育に当たることは願ってもないことです。大事なことであると思います。同時に、それ以上に大事であるなと思うのは、子どもが「安心している」のかどうかです。落ち着きのない環境、子どもが恐怖を感じる環境の中で、その育ちは叶いません。

そこで、子どもが一番安心できる存在者は誰か?いつも子どもの世話をしてくれ、一緒にいる「親御さん」以外にいないのではないでしょうか。少なくとも、親御さんお一人お一人がそう自覚することは大事でしょう。そうあって欲しいです。

イエスの「弟子育て」はしっかり、繰り返し

イエスさまは、その「弟子育て」において、弟子たちの前では、彼らが安心できるような関りを見せています。祈りを教えてほしいという時、それをきっかけにいろいろなことをしっかりと伝えています(マタイ5章以下)。ご自分の受難と死についても、繰り返し語り、彼らの意識変革を促し、ご自分の良き後継者としての資質を準備されたのです。

とはいっても弟子たちは幾多の困難を乗り越えなくてはいけません。それは、自分たちの目の前で展開されるイエスさまの死です。師がいなくなるのです。絶望の境地に追いやられた弟子たち。それを救ったのが、イエスさまとともに過ごした生活体験と復活体験でした。

イエスの十字架と復活の出来事を「わたしの体験」に

キリスト者となるためには、これらの体験が、この「わたし」に意味を持ったものとして受け止める必要があります。さらに、「イエスの十字架と復活の出来事」が、人間の救いにとって決定的な意味と力をもった出来事である、という「わたしの体験」になってきたとき、キリスト者としての誕生(洗礼)となります。そして、わたしたち一人ひとりは、歴史上の主の十字架と復活の証人としてだけではなく、その出来事に込められている神のやさしさと愛、恵みと力の証人ともなっていきます。

復活の主日/イースター:二人の弟子は墓に入って、空の状態を見て、信じた
復活の主日の福音=ヨハネ20・1~9 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。

子育ては一番身近な、神体験の現場

わたしたち一人ひとりの「信仰体験」は、わたしたちの日常の生き方の中で味わいます。子育て、教育・社会活動、その他の奉仕活動等、あらゆる分野における現場で神は今も生きて、わたしたち人間を見守り、励まされているという体験を重ねていきたいものです。

人の誕生に始まる子育て、さらに、人間育ちは、まさに、神体験の一番身近な、そして、責任ある人間、平和な人としての自己成長を促す尊い現場です。わたしたちは自分一人で生きていません。周りの人と共に生き、成長していきます。

これも、主が復活したからです。アレルヤ、アレルヤ、アレルヤ!!

コメント

タイトルとURLをコピーしました