カトリック教会では『いつくしみの特別聖年』が昨年12月8日から始まった。今年11月20日まで続くこの聖年の過ごし方が教会内では度々話題に上っている。

私が所属するカトリック玉里教会では、17日に開かれた合同班会において、主任司祭の講話と分かち合いが約50分行われた。

周縁での生活を送るすべての人に心を開いて!

主任司祭は、「いつくしみの特別聖年公布の大勅書」の要点を解説しながらとくに第15番を強調。フランシスコ教皇の勧めどおり「聖年の間に経験すべきなのは、自分とはまったく異なる周縁での生活を送るすべての人に心を開いて」もらいたいと説かれた。

『自分とはまったく異なる周縁での生活を送る人』とは、シリアの内戦を逃れてヨーロッパの国境を彷徨う難民あるいは大震災の傷跡に今なお苦しむ東北の方々が含まれることは言うまでもない。

彼らに心開き、彼らと同じ目線に立って現実を見なさいとの勧めだ。

いつくしみの特別聖年ロゴマークの目
いつくしみの特別聖年ロゴマークの目

主任司祭の講話を聴いて、あらためていつくしみの特別聖年のロゴマークを眺めてみると、実に意味深長だ。

苦境にある方々と同じ目線で

ロゴマークでは二人の人物の内側の目が重なり、目は3つしか描かれていない。3つの目は同じ方向を見ているように見える。解説によると右はキリストで、左は迷い出た人間。

キリストは迷った人を助けるために肩に担ぎあげ、そのまなざしは暖かくいつくしみに満ちているという。

また、解説では「キリストはアダムの目を通して、アダムはキリストの目を通して見る」とも書いてある。この言葉を自分に当てはめて考えようとすると、あまりにも崇高で尻込んでしまいそうだ。

果たして、自分はシリアの難民の目線でヨーロッパの冬を想像できるか?難民の目線で国境を見つめると、何が見えてくる???

・・・何もしていない自分が情けなく息苦しくなってきた。

カトリック中央協議会によるロゴマークの解説

いつくしみの特別聖年のロゴについて

いつくしみの特別聖年ロゴマーク
いつくしみの特別聖年ロゴマーク

ロゴとモットーはともに、この特別聖年を見事に表現しています。「いつくしみ深く 御父のように」(ルカ 6・36 による)というモットーは、御父に倣い、人を裁かず、罪に定めず、むしろゆるし、愛とゆるしを限りなく与える(同 6・37―38 参照)、そうしたいつくしみを生きるよう促しています。

イエズス会司祭マルコ ・イヴ ァン ・ルプニ ック(Marko Ivan Rupnik)によって制作されたロゴはまるで、いつくしみについてごく簡潔にまとめられた神学大全のようです。

ここに描かれている迷い出た人間を連れ帰るために両肩で担ぐ御子は、あがないによって受肉の神秘を完成したキリストの愛を表しているため、古代教会でたいへん親しまれていたイメージをなぞるものです。

ロゴは、よい羊飼いが人のからだにしっかりと触れ、それもその人の人生を変えるほどの愛を込めて触れるということがよく伝わるようデザインされています。

細部も見逃せません。
よい羊飼いは、最高のいつくしみをもって全人類を担っていますが、その目は、背負われた人の目と合体しています。キリストはアダムの目を通して、アダムはキリストの目を通して見るということです。

ですからわたしたち一人ひとりは、新しいアダムであるキリストのうちに、自らの人間性と待ち受ける未来を見るのです。そのまなざしの奥にある御父の愛を見つめながら……。

この場面は、アーモンドの形の後光を背景としています。
この形も古代・中世の図像学ではなじみ深いもので、キリストにおける二つの本性、神性と人性を象徴するものです。

三つの同心楕円は外に向かって段階的に明るく彩色され、人間を罪と死の闇から外に連れ出そうとする、キリストの動きを感じさせます。ただし、濃いほうの色がもつ深みは、すべてをゆるしてくださる御父の愛の深さのはかりしれなさをも表しています。

引用元:カトリック中央協議会サイト
教皇フランシスコ、いつくしみの特別聖年公布の大勅書 「イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔」のPDF版

ロゴマークの意味を味わう動画

いつくしみの特別聖年ロゴマークについて、分かりやすく解説した動画がYoutubeにアップしてあったので紹介したい。

この動画は、御父のあわれみ深さを黙想するために良い助けになると思う。動画の作者、Claudio Codenottiさんに感謝しながら。